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自然の祭りの終わりに! [風景]
時々、心が物憂い状況に陥ることがあります。
理由はいろいろだけど、理由さえわからないこともあります。
机に向かってぼんやりしてるときに聞きたくなる音楽ががあります。
「希望」というタイトルのイスラエル国歌です。
イスラエル国歌「希望(ハティクヴァ)」
イスラエルについては、政治的に受け容れないものがありますが
音楽として、「希望」は、私にとって癒やしの音楽です。
他の国の国歌もいろいろ聞いてはいますが、
おおむね、戦いの歌が主流のようです。
中でもフランスの国歌なんかは、軍歌と云いたいような内容だし
ルーマニア国歌は武器を取って闘え、「自由かさもなくば死か!」と迫る。
中国の国歌はもう「義勇軍行進曲」です。
そんな中でも、戦いを口にしない国歌もあります。
ドイツとか韓国、そして日本などです。
他国の国歌を沢山聴いたあとで日本の国歌を聴くとホッとした
おだやかな気分になるから不思議です。
が、国歌について、良否は、云えません。
それぞれの国の歴史を語っていると思います。
話は、元に戻りますが、あるとき「モルダウ」聴いていたら
別のどこかで聴いたような気がして考えていたら
イスラエル国歌の「希望」と似たような雰囲気を感じました。
モルダウも私の好きな曲ですが
この2つの曲に私が感じるのは、「望郷」の心情です。
イスラエル国歌は、まさにその「望郷」ではないでしょうか。
私は短調の調べが好きですが、この「希望」は、それに叶っていて
本当に心が安まります。
話は変わりますが、久し振りに植物園に行き
晩秋の雰囲気を楽しみました。
自然のお祭りのような色とりどりの時期が終わろうとしています。
なんとなく寂しい!
フウの木
メタセコイアの勇姿
山茶花の花が秋の終わりを告げていました。
これからはしばらく寒い季節がやってきますので、冬ごもりの支度です。
秋の自然のお祭りも終わりですね。
燃える季節 [風景]
最近、日本列島のあちこちで、地震が多発していて、
少々不安になります。
いま、テレビドラマで「日本沈没」が連載されていますが
だから不安というわけではなく、東南海地震についての
政府の「地震調査研究推進本部」の予測です。
当該予測によると、2018年1月1日現在の発生確率は
30年以内に70~80%、50年以内に90%程度であると云われている。
ということは、明日起きても不思議ではないという確率ですね。
ところが、自然は人間の思うようにはなかなか運ばず、
予測していた地域ではなく、予想外の地域で、予想外の大きな地震が
起きる場合もありますよね。
また、大地震は、津波、火山の噴火を導くことも考えられます。
こう考えると、コロナ対策も目の前の問題として非常に大きな課題ですが
自然の災害に対する対策もしっかり供える必要があります。
そんなことをつれづれに考えながら、真如堂に出かけてきました。
ここでは、まるで紅く燃える季節でした。
沢山の人が訪れて、見とれていました。
帰り道、夕日を浴びた萩の寺にも立ち寄りました。
紅葉の最後の時期をここでしっかり楽しみました。
これで私の秋は、終わりになりそうです。
これから数ヶ月は、私の苦手な冬の季節になります。
春を夢見て、冬ごもりでもしようかな?
風景の4つのレベル! [風景]
最近新しいコロナウイルス、オミクロン株が再び世界に襲いかかろうとしています。
日本政府は、水際作戦で12月1日から外国からの入国を全面的にストップすると宣言しました。
日本での流行を阻止する上で、やむを得ない政策だと思います。
が、日本には、落とし穴みたいなものがあります。
それは、米軍関係者は、日本への入出国がフリーパスだということです。
日本政府の検閲は、なしなのです。
日米地位協定などで、日本政府は手が出せない。
日本で有りながら、日本の法律も主権も通等しない隷属的な協定です。
ここから、オミクロン株が、日本に入ってこないと断言できません。
悲しい現実です。
さて、紅葉の季節もいよいよ終わりに近づきましたね。
紅葉と云えば、「風景」です。
私は晩秋の風景が好きです。
日本画家の千住博さんが風景には私達にとって4つのレベルがあると云うのです。
その第一レベルは、いうまでもなく、行ってみたい風景
その第二のレバルは、行くだけでなく、そこで遊んでみたい風景
その第三のレベルは、住んでみたい風景
そして、第四のレベルは、これが最高のレベルですが、
死ぬときは、ここで死にたいと思う風景だそうです。
みなさんの第四レベルの風景は、どのような風景ですか?
私は、この第4の風景は、その人の心の風景、心のふるさとの風景ではないかと思います。
そして、私個人の風景は、やはり現実のふるさとの風景のように感じます。
さて山峡の風景の続きです。
ある人たちにとっては、すごく懐かしい風景
ある人たちにとって懐かしい風景は、コーヒーを飲みながら眺めた風景です。
こう言えば、ある人たちは、おわかりになると思います。
私にとっても、懐かしい風景です。
山峡で紅葉に埋もれ! [風景]
新型コロナの流行は、日本では、終息にあるかのようですが
ヨーロッパやお隣の韓国では、また、大流行しているようです。
旅に出たいけど、やっぱり二の足を踏みます。
しかし、私の町では、観光客が大急増で、閑古鳥が鳴いていたホテルが土日は、
満員状態だそうです。
みんな待ちきれずに、紅葉につられて、お出かけなのでは無いでしょうか。
そこで私も紅葉を求めて、人影もないような、山峡に出かけました。
ここなら、コロナなんて、全く問題なしです。
自然の紅葉を満悦出来ました。
山峡といっても、一応車が通れます。昔は険しい道だったようです。
路傍に石碑が建っています。
「南無阿弥陀仏」を刻印されています。
昔、この場所から谷間に落ちて亡くなった人があり、その供養碑だとか。
紅葉の観光地は、沢山あるけど、
観光地でもなんでもない山奥の地にも、観光地に負けない美しい紅葉がありました。
時折、車が通るだけの山間の道は、独り占めの観光地ですね。
車を止めて、清らかな空気を吸い込み、うっとりしながら散歩です。
哲学に道で-2 [風景]
日本では、なんだかコロナの流行も収まってきている気がするけど
お隣の韓国やヨーロッパでは、また、すごい勢いで感染が広がっているようですね。
私達の気を引き締めてないと、また大変なことになりかねませんね。
特に年末、年始を注意して乗り切らないとと思います。
また、これから寒さがやってきますが、インフルエンザの流行は、どうなんでしょうね。
私は、肺が悪いので、特に心配です。
こちらの予防ワクチンも受けることにしました。
加えて、居間や玄関、洗面所などに、空間や物に付着するウイルスや菌を除去すると
云われているクレベリン置き型を配置する。
これが私の冬支度の重要な一つです。
哲学の道の桜の木は、ほとんど枯れ葉を落として冬支度です。
落葉樹は、その葉を落とすことで、冬支度をするそうです。
私は、枯れ葉は、かってに風に吹かれて散るのかと思っていましたが
ある植物学者さんが、勝手に落ちるんじゃなくて、木が切り離すのだと云ってました。
ある日、田舎の家のベランダのそばに、大きな欅の木がありました。
静かなよる、そのベランダで休んでいると、欅が葉を切り離す音が聞こえてきました。
「パキッ」というような音がして、枯れ葉がヒラヒラと落ちてきます。
で、学者さんの話がホントだと体験しました。
自然の営みって本当に多様で素晴らしいと思います。
哲学の道の桜の葉も桜が切り離していたんでしょうね。
ハナミズキは、未だ葉を落とさず、実作りに励んでいるようです。
野菊が可憐な花を咲かせています。
夕日があたりを赤くしてきました。
観光客の姿が消えた夕方は、静かなたたずまいを感じます。
寒村の秋(滋賀) [風景]
今日から11月、気分を切り替えて、秋を楽しみたい。
衆議院選挙の結果は、私にとっては、はなはだ悔しい思いがするが
これが国民の意思なら受け入れて、そこから、あらたな出発を考えるしかない。
で、やはり前向きに元気を出して、生きて生きたい。
都会の中から抜け出して、山里を訪ねてみるのも楽しい!
刈り入れの終わった秋の山村は、とにかく静かです。
時折吹く風のささやきは、心を洗ってくれるような気がします。
田舎の一番の良さは、この静けさではないでしょうか。
世の中のあれこれを、抜けて、癒やしの世界に連れて言ってくれます。
私のような、田舎育ちには、特に心安まります。
畑の中に、ポツンと犬小屋が・・・・
おばあさんが銀杏の実を拾ってるようです。
廃屋の姿
小川のささやきが、静けさを引き立たせています。
人家はあれど、人影無し!
柿が食べ頃になっていますが、取る人もいないようです。
農家の人たちは、どうしてるんでしょうか?
収穫がすんで、村中一休み?
みなさんにとっても、良き秋だと良いですね。
秋の稲田は [風景]
10月は、実りの秋、収穫の秋ですね。
稲田には、稲穂がたなびき、あるいは、すでに収穫されて
冬支度が進んでます。
その田んぼを眺めていると、ミレーの「落穂拾い」を思い出します。
(ネットからお借りしました)
今では、そんな風景は見れなくなっていると思うけど
当時、落穂拾いをしていた女性は、今、なにおして生計を立てているのでしょう。
みんな町に出て、賃金労働者として働いているのでしょう。
今の日本には、落ち穂を拾う人さえいません。
ミレーの時代では、農家は、意識的に落ち穂を残していたという。
貧しい人たちへの施しの精神です。
江戸時代、路傍のお地蔵さんにおにぎりをお供えするのも
飢えた人たちへの施しの精神!
私の生家は、寺院でしたが、私の子供時代、住み込みの小僧さんがいました。
寺の小僧さんは、我が家に限らず、身寄りの無い子供や貧しい家庭の子供です。
これも、一種の子供救済の一つでした。
寺社の賽銭も本来は、神仏を介して貧しい人が利用することだったけど
いつからか賽銭泥棒などを呼ばれるようになった。
賽銭は寺社の所有物ではなく、貧者への施しの精神だったのですが・・・・
今では、施しの心は、資本主義によって滅ぼされた感があります。
私は、施しが必要と言って居るわけではありません。
今の日本では、施しではなく、制度としての救済があります。
それは私達が文化的な生活を権利として勝ち取ったものです。
が、それが今、自・公政権のもとで、どんどん壊されています。
大切に守らなければなりませんね。
写真を撮ってたら、ファインダーにわっと飛び込んでくるものがありびっくりした!!!
気持ちよく空を飛んでいた!
しかし、稲田には人影さえ見えません!!!!
静かな山里の秋です。
田園の夏 [風景]
8月も終わりなのに、暑さは真夏のような猛暑ですね。
高校野球は、智弁和歌山と智弁学園(奈良)との決勝戦でしたね。
兄弟高同士の対決なんて、初めてのことではないかと思います。
高校野球は,見ていてなんか清々しいものを感じます。
一方、パラリンピックは、各局総なめ的に朝から晩まで報道されていて
見たい番組が消えてしまい、嫌気がさしています。
ところが、偶然似ていた番組で「アケビコノハ」の幼虫の姿の紹介が有り
もう、びっくりでした。
この目玉のような所は、胴体(背中)です。
(ネットからお借りしました)
成虫はこちら
(ネットからお借りしました)
自然界って本当に多彩ですね。
ハクガンの生態も、びっくりです。
(ネットからお借りしました)
ものすごい集団をつくって3ヶ月で4,000kmを移動する鳥だそうです。
海のイワシ、空のハクガンってとこですね。
あんまり暑いので、田園に出かけてみました。
アケビコノハやハクガンとは違い、あまり変化の無い風景に懐かしさを感じました。
田舎の道
人気も人家もなく、セミの大合唱!!!!!
道の奥には、神社の鳥居
左手前の小屋の中では、犬が昼寝、人影無し!
川の流れは、太陽に照らされて、きらきらを輝いていた。
眠たくなるような、のどかな川の音
杉木立の向こうに立ち上る雲!
色づく稲田
広がる田園風景が気持ちいい!!!
田園の中の一軒家
むせかえるような暑さと涼しげな雲と空
眠りこけるような建物
みんな、子供の頃の自分と故郷を思い起こさせてくれる。
私にとっては、涙の出そうなくらいの望郷の風景です。
花の宴 哲学の道 [風景]
今日、我が家にも「ワクチン接種券」が届いた。
でも、かかりつけ医に聞いたら、医者もまだ接種は、先のことですという。
接種出来ているのは、コロナ担当チームのメンバーだけですとのこと。
我々が接種を受けられるのは、いつのことやら。
何事も後手後手の行政には、うんざりです。
その間に多くの人が、非日常的な生活を強いられて苦しんでいます。
どうしてこんな情けない政治が許されるのでしょうか?!
自然は、花の時期をばく進していますね。
いろんな花が咲き乱れる生き生きとした季節になりました。
その始まりは、桜の宴です。
哲学の道の宴をアップします。
はなびらも舞い始めていました!
幸せ地蔵尊の弥勒院
銀閣寺橋の回りで集う人々
さすがに今年は、海外の観光客の姿もまばら!
国内の観光客の少なく、のんびりを楽しめた。
桜吹雪
疎水の水面には、桜の花びらで埋まっています。
桜の花に挟まれるように、椿の花も仲間入り!
花の終わりを教えてくれる。
新型コロナウイルスに感染せずに、来年もこの花を心静かに眺めることが出来るだろうか?
持病持ちの高齢者に取っては、一抹の不安のある花の宴でした。
この花の宴を開いてくれた自然に礼拝です!
晩秋の詩 [風景]
最近うれしいことが2つありました。
一つは、トランプが大統領でなくなったこと。とんでもない大統領でした。
二つは、核兵器禁止条約が1月22日に発効したこと。
日本は、被爆国なので、この条約を先頭切って実現に力を尽くす位地に有りながら
何もしなかったし、今もしていない!許しがたい気分です。
でも、この二つの世界的出来事は、これからの世界の歴史の歯車を回すことでしょう!
また、新型コロナウイルスの世界的感染の広がりの中で、お互いに協力し合う方向に
人類が進むきっかけになって欲しいと思います。
さて、晩秋の詩
風吹けば 落つる紅葉ば 水きよみ ちらぬ影さへ 底に見えつつ (凡河内躬恒)
夕月夜 小倉の山に 鳴く鹿の 声のうちにや 秋は来るらん (紀貫之)
下紅葉 かつ散る山の 夕時雨 濡れてやひとり 鹿の鳴くらむ (藤原家隆)
松にはふ 正木のかづら 散りにけり 外山の秋は 風すさぶらむ (西行法師)
故郷は 散るもみぢ葉に うづもれて 軒のしのぶに 秋風ぞ吹く (源俊頼)
なべて世の 惜しさにそへて 惜しむかな 秋より後の 秋の限りを (藤原頼実)
私の好きな昔の人の詩を少し記してみました。
私の秋は、物思う時期です。
寂しさと清らかさを感じます。
高校生の時代には、草原の秋、夕日の差すススキに抱かれて死にたいと真剣に
思ったことがあります。
にも関わらず、高齢者と呼ばれるまでに生きてきた!
なにか自分でも不思議な気がします。
今は、なぜ長生きしてるんだろうと考えてしまします。
でも、秋の風景は、生きる喜びを感じさせてもくれますね。
風景の最後は山茶花で締めくくりです。
晩秋シリーズは、これで終わりです。
今や梅の季節にさしかかっていますね。
心あらば とはましものを 梅が香に たが里よりか にほひ来つらん
源俊頼朝臣(新古今和歌集)
今日はここでお別れします。