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静けさの中で [まどろみ]
感傷のひととき [まどろみ]
郷愁 [まどろみ]
2016年11月4日(金)
久し振りに友人の別荘に出かけた。
友人は「いつでも好きなときに使っていいよ」と
鍵を渡してくれた。
だから、気が向いたときに行ける場所があるというだけで
なんだか少し豊かな気分になるのである。
別荘地には、人影もなく、車の音さえ聞こえない。
ただ小川の流れと無視の声のみである。
別荘には、テレビもなければ、携帯さえも圏外。
ラジオだけが外界とつながっている感じである。
で、ラジオを聞きながら、コーヒーを入れる。
薪暖炉には、もうすっかり準備が出来ていた。
友人が冬支度をしているのだ。
コーヒーメーカーがポコポコと音を立てながらお湯を注いでいる。
その音を聞きながら、机に座り、窓の外を眺める。
木々が色づき始めている。
こうして日常を離れた所に身を置いてみると
自分を取り戻したような気分になる。
最近、カフェ&ギャラリーkazeの夢をたびたびみる。
それは、郷愁のように私の心を揺さぶる。
フト、買い戻せたらなんて、たわいもないことを考えたりする。
私の心の中では、苦労もあったけど、
花や小鳥たちとともに過ごした日々は、なにものにも代えがたいのだ。
今は、人の手に渡っているが、kazeは、私の第二のふるさとである。
コーヒーを飲んだ後は、別荘地をのんびりと散策。
ここでも鹿がやってくるらしくて、フンがあちこちにある。
それでも、土手には、可憐な花が咲いていた。
きっと鹿が食べられない種類の花なのだろう。
小川の流れを聞きながら静かな午後を過ごすことが出来た。
ここは、私の心の洗濯場だ。
静かな想い [まどろみ]
母の初盆で賑わった寺も
盆の送り火も終わると、
生家の里は、子供の声も消え静かになる。
わが山寺もまどろみに似た雰囲気になる。
玄関の上がり框に腰掛けて、のんびりと庭を眺めていると
いろんな想いが通り過ぎていく。
母の時代は終わり、今、その子も老いの世界を迎えている。
以前は、老いることをつまらないもののように思っていたが
老いの世界は、素敵な世界のように思えてきた。
命に限りがあるということは、素晴らしいことなのだと思えてきたのだ。
ふとある哲学者の言葉が脳裏をかすめた。
『死の帰するところ 生の依るところ』
ようやくこの言葉が理解できるようになった気がする。
庭を眺めていると、庭木の姿にもいろんな物に見えてくる。
まるで可愛い動物のような
ナンテンが竹から生えているような錯覚
玄関に涼風が吹き、肌に心地良い!
敷台に置かれた虚子の句のように
庭石を見ていると、尖閣諸島のようだ。
芙蓉やキキョウ、カンナが咲き誇っている。
吾亦紅が風に揺れているのを眺めていると
手招きしてるように思えてくる。
山門の下には、妹が掲げた江戸時代の狂歌がある。
豆腐屋へ二里を四里と変えているが
一里は、4kmなので、酒屋までは12km、豆腐屋へは8kmになる。
実際この寺からは、酒屋へ1km、豆腐屋へ6kmであるが、
車で行けば豆腐屋まで15分。
歩いて行けば、棚田の続く道を1時間半。
のどかで、自然に満ちた山寺であり、故郷の寺である。
今自分の体を建物にたとえれば、こんな感じになるかな?
多少趣に欠けるけど・・・・・・(笑)