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政治資金規正法の改正議論に思う。 [譲れない想い]
今国会で政治資金規正法改正の議論が始まりましたね。
確かに今、この問題はしっかりけりを付ける時期だと思います。
私は、この問題を議論する大前提として、企業・団体献金の全面禁止をまず行うべき
課題であると考えます。
そもそも、企業・団体献金をやめる代わりに政治資金規正法が作られ、政党交付金が
私たちの税金で支払う事となった。
ところが、形を変え、企業・団体献金が事実上パーティー券などで復活していますね。
で、今回の改正で最も大事な核心は、
企業・団体献金の完全禁止を実現するかどうかだと思います。
ここが明確にならなければ、またぞろ企業・団体献金がはじまり、
政党交付金と併せて、いわば「二重取り」状態を断ち切る頃は出来ないと思います。
献金は個人に限定し、金額の代償にかかわらずすべて明らかにすることです。
次に大切なことは、いわゆる「政策活動費」なる怪しげなものは廃止し、使途別に
金額の大小にかかわらず、すべて領収書付き記載の義務化
第三に不正に対しては、該当議員が責任を負うこと。事務方の責任だけにしない。
で、不正があれば、国会議員の資格剥奪と刑事訴訟を明確化すること。
この3点が最も重要な判断の要だと思いますがいかがでしょうか。
ところで町や野山は、はや初夏の趣を呈してきましたね。
待ちに待った一年間で最も清々しい季節の到来です。
哲学の道では、桜の花はすっかり散ってしまい、若葉に覆われてきました。
沿道では藤の花が咲いています。
桜の花と椿のコラボがいまでは緑になってしまいました。
琵琶湖疎水沿いではスズランも咲きました。
カモのカップルも野草の中に座り込んで季節を楽しんでいます。
白壁には桜の木の陰が絵画のように映っています。
疎水の水ものどかに流れ、午後のまどろみを感じさせます。
夕陽が差し込んだ風景は、癒やしの風景ですね。
そして、初夏の夕暮れ時、なぜか町が静かになったような気がします。
民家では、夕食の準備が始まり、家路への足取りが速まりますね。
「夕暮れの時はよい時、かぎりなくやさしいひと時」ですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
春雨の日曜日には・・・・・ [まどろみ]
今日は朝から雨がシトシトと降り続いています。
二階の書斎の窓には、満開のハナミズキの花が雨で揺れながら私に挨拶をしている。
以前はその花を見下ろしていたのだけど、木が成長して目線より高くなり出した。
前の通りには、人影もなく、時折車が走っていくだけ。
静かな春雨の日曜日です。
こんな日は、心も静かに潤っているような気がします。
ある人が、このような日には詩を読むといいと言っていたのを思い出す。
私たちの世代が、最初に詩にであうのは、教科書でした。
日本の詩人では高村光太郎の「道程」がすごく印象的で、いまでも
そのページが脳裏によみがえります。
世界の詩人では、ゲーテの「イタリア紀行」が大好きでした。
漢文の授業では、漢詩も出会えました。
杜牧の「江南の春」がいまでも印象的に思い出される。
今の国語の教科書はどんな内容になっているのだろうか?
文学は、やはり学校で出会うことで、何時までも心に残るものです。
私も詩は好きですが、いわゆる「現代詩」にはついて行けません。
芸術的新しい感覚が現代詩には求められているのだろうと思う。
私は黒田三郎止まりだと思うが、それで満足しています。
話は変わりますが詩では無く、歌詞では、中島みゆきの作品は、すごいと思います。
特に初期のアルバムが大好きでした。
とにかく、春雨の日曜日には、詩集でも手にとって、じっくり味わってみるのも
気分転換にはいいのではないでしょうか。
私は、今日は漢詩集にしました。
江南の春
千里鶯ないて 緑 紅に映ず
水村山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺
多少の楼台 煙雨の中
先日さる集まりが植物園の中であり参加しました。
新緑の藤棚のそばで、椅子の円陣で語り合った。
話の中で世の中変えるには泉房穂氏と山本太郎氏を応援しなければと強調する人がいて
そんなことはないと反論する人がいて、喧々がくがくの議論が行われて、すごく面白かった。
でも、みんな仲良しなのだ。
ついでに少し園内を散策した。
シャクナゲが満開です。
ぼたん展も行われていました。
この日は、は楽しい語らいと花の観賞で本当に充実感のある日となりました。
集いの仲間たちとは笑顔で再会を期して別れました。
信頼できる友がいるというのは、やはり人生の宝ですね。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます!
惜別時代を生きる [心の風景]
哲学の道では、桜が満開、お空は雲一つなく全開!
陽気漂う明るい日の中を手をつないで歩く若者!
彼らの姿に郷愁にもにた気持ちがわき起こった。
私にも遠い遠い昔、青い山脈を越えた時代があって
彼らのように歩いた学生時代があった。
今では、遙か遠い遠い昔、それは確かにあった。
あの頃は、学生運動に明け暮れ、恋人と愛を語り
学友と酒を酌み交わし、夜を徹して語り合った。
生きる意味を問い続けた。
自分の人生を問い続けた。
勉強は、教室より図書館
ニーチェにカント、サルトルにマルクス、ゲーテにヘッセ、
丸山真男に高村光太郎、阿部次郎に西田幾多郎
卒論は、ヘーゲルの弁証法だった。
今は、遙かな人生を学生時代の恋人を妻として歩いてきた。
そして、生に対して永遠の別れをする時代を生きています。
まさに生に対する惜別の歌が聞こえる所まで歩いてきたんだと実感します。
私たち二人の惜別時代です。
この時代は、思い出が遙かな時空をこえて、学生時代に瞬時に連れて行ってくれます。
よみがえる青春がわき上がる感動を連れてきてくれる。
それは単なる思い出ではなく、今も生きた命の叫びのように感じます。
それが惜別時代を生きる人間の”思い出”だと思います。
やっと訪れた春の盛り!
ヨシガモのカップルもハナイカダの中で、愛をはぐくんでいるようです。
春は、生命の謳歌の季節ですね。
最後まで、おつきあいいただきありがとうございました!
花の春がやってきたけど・・・・・・ [譲れない想い]
日本には、花の春がやってきた!
日本中がお花見で賑わってきましたね。
それも、多くの海外の人を迎えて派手やかです。
だけど、一方では、国内では能登半島地震で苦しんでいる人たちがいる。
台湾でも大地震が起きました。
さらには、パレスチナ・ガザ地区では、イスラエルの傍若無人な攻撃で
多くのパレスチナ人が餓死寸前の状態に追い込まれています。
人類社会では、まだまだ理不尽さがまかり通っていますね。
人類がみんな平和で豊かな生活を送れる時代が、遙か彼方に消えていきそうです。
それでも哲学の道に集う人々を見ていると、平和な姿に見える。
喜びを享受している人と苦難を背負っている人とが、世界中で分離しているように
感じてしまいます。
目に見えないけど、日本でも児童の6人に一人が欠食児童だという。
心が痛みます。
話は変わりますが、台湾では震災の翌日避難所にテントや食料がしっかりとどいていたという。
フィリピンでも、避難所に家族用のテントが設置され、プライバシーなどが守られていましたね。
ところが、日本ではどうでしょう。
能登半島地震でもテントが設置されたのは、随分後でしたね。
日本は災害被災者への対応が貧弱過ぎる思いがします。
このような災害では、自治体任せではなく積極的に政府が援助に乗り出してほしい。
ボランティア頼みでは、復興も限度があると思います。
春眠暁を覚えずという漢詩がありますが、私は早起きして世を嘆いています。
が、やっぱり花を見るのはうれしい!
哲学の道を散歩しました。
沿道の民家の桜
服装も花盛り
道端でも、野草が生き生きとしています。
木瓜の花も負けてはいません。
白い椿が神聖な感じを与えてくれます。
季節は周り、どんなに冬が厳しくとも春は必ずやってくる。
人の人生は、それがいえないけれど、花を愛でる春の心忘れずに生きたいものです。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございます!