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死の迎え方 [生と死]
急に冬がやってきた気分です。
地球温暖化の「成果」で気候変動も過激になってきているようですね。
NHKの「ヒューマニエンス」は、多くの方が見ていると思いますが、私も毎回見てきました。
その中で今週放映された番組は、私にとって非常に興味深いものでした。
タイトルが「”死の迎え方”ヒトの穏やかな死とは」です。
ヒトが老衰で死を迎えるということは、幹細胞の老化が原因だと言う。
幹細胞が老化することで、ヒトの臓器の機能が低下し、
新陳代謝、免疫も低下して、ついに老衰での死にいたるという説明は納得できた。
いくら治療を加えてもBMIが12を割り込んでいったらもう死に一直線だという見解は
すごく印象的だった。
また、呼吸が落ちて、血中酸素濃度がどんどん減少するに従って
エンドルフィンが増加し、苦しみや痛みを和らげてくれるという。
死にゆくヒトを見ている人と死にゆく人との間には、違った感覚があるようです。
かって、私の祖母が死の床にあるとき、肉親が祖母の名を呼び泣き崩れたが
顔から血の気が失せて冷たくなりかけていた祖母が突然「生き帰り」
「峠を越えていい気分になっているのに、呼び返すな!」とつぶやいて事切れた。
それは、私も祖母の枕元にいて、子供心に衝撃的な事件でした。
今考えれば、きっと老衰でエンドルフィンが一杯だったのかもしれないと思います。
死は、どんな人間でも例外なく訪れます。
どのような死を迎えるかは、どう生きるかという問いと同じように思えます。
どう死を迎えるかは、どう生きるかと同じように各自に問われている課題だと思いました。
秋を探して植物園に出かけてきました。
食欲の秋では無いが、パパオアの実を見ると食べたくなる。
火のようなカエンキセワタ
背丈が2m以上あるニトベギク
同じ菊でも、こちらは「阿房宮」
これも同じく菊で延命楽 「もってのほか」という面白い名前
トウゴマ
蝶とラッキョウ
ナンゴクイヌホウズキ(ガーデンハックルベリー)
休憩所
雑木林は、秋が一番いい。
静かな林の小道を歩いていると、秋が心に話しかけてくるようないい気分になります。
紅葉したフウの木
自然の中にいると時の流れを忘れてしまいそうです。
そして、生きていることの喜びを感じます。
幸せなひとときです。
帰り道、夕陽に照らされた木々が見送ってくれました。
春でもなければ、朝でもないが、ブラウニングの詩の最後の2行が脳裏に浮かびます。
「神は天にいまし、全て世は事もなし」
本当は、日本も世界も事だらけで、ひどいことになっているのが現状なのですが・・・・
夕暮れ時の一番の癒やしは・・・ [心の風景]
秋は駆け足で通りz過ぎ、突然のように冬がやってきたようで、寒い!
インフルエンザ菌が喜んでいるだけだ!
寒いときに寒い話だけど
先日、知人が郵便局のATMで、初めて支払いの手続きをしていたら
後ろの高齢者から「いつまでやってんだ!はやくしろ!」と怒鳴られたという。
知人は、すごく傷ついて、嫌な思いだけが何時までも残ってしまったという。
確かに待ってるのは、短時間でも待つ身の人には、長く感じられると思うけど
急いでいるのなら、もたついてる人に手助けをしてあげたら、じっと待っているより
気分も晴れるし、相手からも喜ばれるし、お礼を言われれば、気分もいい。
なぜ、その方向に考えないで、怒鳴り罵倒する方法をとるのだろうか?
人間関係に木枯らしが吹き込んでいるようで悲しくなります。
社会的立場の弱い人は、小さなことでも、ふかく傷つくことがあります。
逆に小さなことでも、親切な人に会うと、
すごく世の中が素晴らしく思えることもあります。
社会的に一番弱い人が、住みやすい社会になると、
すべての人が住みやすい社会だと言えると思います。
そんな社会になったらうれしいなあと思いながら散歩してます。
つい先日まで実りの秋を謳歌していた吊り花が
今日は、はや最後の一粒をかろうじて、残して秋に別れを告げているようでした。
民家の一隅になんとナデシコが元気に花を咲かせていて、びっくり。
古い民家の庭の木が紅葉真っ盛り。
南天が夕陽に照らされて、いい雰囲気
垣根の草も夕陽に紅葉していました。
桜の紅葉がこちらも夕陽に映えていました。
見事なピラカンサ
黄色く色づいたエノキの大木
夕陽が沈み初めても観光のみなさんの姿は、消えません。
確かに、夕陽のさす時間帯の散歩も情緒があります。
ハンドクラフトのお店も灯りがともり、見ていて、なにか癒やされた気分になります。
冷たい風の吹く夕暮れの道にたたずむと、店内がすごく暖かに感じてきます。
住宅街にぽつんとあるお店なので、なおさらなのかもしれませんが・・・
我が家が恋しくなり、足運びも少し早くなりました。
こんな時の我が家の灯りは、最高の癒やしです。
みなさんは、いかがですか?
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
峠の向こうに見えるのは・・・ [人生の峠]
暖かな日差しを浴びて
鴨川の流れは、千年の夢を乗せて絶え間なく光り輝いています。
鴨長明はもとより、歴史に名を残した多くの人、はたや源氏物語を書いた紫式部も
眺めたであろう川面に思いを重ねたくなります。
昨年来ベストセラーの和田秀樹さんの「80歳の壁」を買った。
面白い内容だった。
書かれたことがすべて納得ということでは無いけど、老後を楽しく生きるすべを学ぶことが
できて、勉強になった。
肩の荷が下りた思いがしました。
壁を越えていく方法3選
①3つの我慢をやめる。
②自分の昔と引き算で考えない。
③楽天的に生きる。
①の我慢とは、薬の我慢、食事の我慢、興味あることへの我慢
②では、あれが出来なくなった、これができないと出来ないことを嘆くより
まだ、出来ることに眼をむけて実行する。
すなわち、老いを受け入れ、出来ることを大事にする。
③では嫌なことは我慢せず、好きなことだけをするということ。
嫌なんだけど、長生きのために我慢する必要は無いというのです。
たくさんの事例などを書いてありますが、まとめて言えば、こんなところでしょうか。
とにかく、私はこれを読んでスッキリしました。
おすすめです。
話は戻りますが、こんな良き日は、友人と自然の中で語り合うのが一番です。
壁を越えた友人、これから壁を越える友人、との語らいは実に楽しい!
植物園の藤棚のしたで6人で午後のひとときを過ごしました。
クスノキの並木道
燃え立つようなバラ
バラ園
バラ園では子供たちが熱心に写生!
時折々に植物園に集って歓談が出来る友がいると言うことは、人生にとっての宝のように思えます。
心を開いて、気兼ねなく語り合える友達は、壁の向こうでは、特別の意味を持ってくると思います。
80歳の峠から見える景色は、病苦など苦界の漂う風景か、それとも桃源郷か
いずれを見ることが出来るかは、それぞれの生き方にかかっているように思われてなりません。
今は子供であっても、いつか必ず壁に出会う。
みんなが壁の峠の向こうに桃源郷を見ることが出来るように願いたいものです。
今日は、なんだかとりとめも無い話になりましたが、読んでいただき
ありがとうございます。
虐殺の国ー第二のナチズム? [譲れない想い]
早11月になりました。
前回からしばらくご無沙汰していました。
京大病院退院以来、いろいろとあり、忙しい日々が続きました。
やっと、最近平常が戻ってきた気がしましたが
世界では、平常が壊れ、イスラエルの蛮行がエスカレートしています。
いまイスラエルがやってることは、もはやパレスチナ人の虐殺行為です。
ハマスを根絶やしにするという名目で、皆殺しです。
私は、この有様を見て、かってヒットラーがユダヤ人にやったことを思い出しました。
今行われている現実はイスラエルというユダヤ人の軍がパレスチナ人に
同じようなことを始めている。
許しがたい蛮行を、あろう事かアメリカが後押ししている。
アメリカは、ウクライナでいってることと、イスラエルでいってることが
全く逆ですね。
やっぱり、戦争の犠牲者は、双方の市民です。
悲惨すぎます。
直ちに停戦し、武器をおいて、冷静に話し合いで、解決の道を探りましょう!
いかなる理由でも戦争は、反対です!
正義の戦争があると思っている限り、戦争は無くならないと思います。
私の思いは、間違っているでしょうか?
哲学の道を散歩していると、いろんな国の人と出会います。
カフェで出会ったのは、フランス人、グループで来た韓国人
イタリアからの人にも出会いました。
出会う人はみんなフレンドリー!
国家間もフレンドリーであってほしいですね。
カフェは、海外からの高齢者で満員!
二つの彼岸花にそれぞれ蝶の姿が・・・・
琵琶湖疎水の上に咲くのは芙蓉の白い花、水もには青い空と桜の木
タマスダレも咲いています。
木漏れ日に照らされた弥勒院の地蔵堂
ここには、幸せ地蔵菩薩と乗り越え不動明王さんがいらっしゃいます。
秋の夕陽の木漏れ日は、見ているだけで穏やかな気持ちになります。
右端の絵馬には、海外の方の言葉で書かれた絵馬もあります。
絵馬も国際色豊かです。
桜の木は、すっかり紅葉し、枯れ葉が道にあふれています。
沿道の民家のみなさんが、落ち葉の掃除を毎日やってくれて、小道はきれいです。
吊り花が今にも赤い実を落とさんばかり!
私の好きな花の一つです。
春の花もいいけど、秋の赤い実も魅力的です。
皆さんの秋は、どんな秋ですか?
人生の秋もいいものですよ。
それでは、お元気でまたお会いしましょうね。
訪問ありがとうございます。