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灯滅せんとして光を増す! [風景]
いよいよ今年も押し迫りましたね。
暖かだった日も、急激に寒い日々の一変です。
来年のNHK大河ドラマは、源氏物語の作者、紫式部が主人公の
「光る君へ」だそうですね。
どんな内容になるのか、少し楽しみにしています。
秋の歌で源氏物語の中で、かの六条御息所が源氏に対して歌った歌
「おほかたの 秋の別れの 悲しきに 鳴く音(ね)な添へそ 野辺の松虫」
実にうまい情のある和歌だと思います。
でも、本当の作者は、紫式部(笑)
ここで我田引水ながら、娘が描いた漫画の源氏物語も、
英語版のほかにフランス語版、スペイン語版が発行されました。
日本語版は、ほかに沢山あるので出ていません(笑)
英語版のアマゾンページは
「灯滅せんとして光を増す」ではありませんが最後の紅葉は、実に美しくて燃え立つようです。
でも、夜半の嵐で跡形もなく、散り去りて、残るは、冬枯れの寂しい枝のみとなった。
哲学の道の紅葉も今年の見納めとなりました。
さよなら、今年の燃え立つ紅葉たち!
また、来年、生きてこの紅葉を眺めることが出来たらと願うばかりです。
しばらくは、寒い日々に耐えて、春を待つしかありませんね。
みなさんは、この秋をいかがお過ごしでしたか?
逝く秋の姿しばし留めん [風景]
老けゆけば、日は短かに、歳早く去りゆきて、みな夢のごとし
散歩道もすっかり晩秋の趣になりました。
昔、藤原頼実は、この時期を
”なべて世の 惜しさにそへて 惜しむかな 秋より後の 秋の限りを”
と歌っていますが、なんとなくそんな気分になる今日この頃。
枯れ葉散る道に、あでやかに咲く山茶花の花が、目にまぶしく感じられます。
散歩道の中に、2~3メートルほどの山茶花の木に、あふれるように咲き誇る花
赤い花、ピンクの花、よりも白い花が、私は好きだ。
立ち止まり、眺めていると汚れた心がきれいに浄化される思いになる。
木の根元には、敷き詰めたように花びらが散っている。
眺めていると子供の頃よく歌った童謡「たき火」の歌が
自然と脳裏をよぎっていく。
”さざんかさざんか 咲いた道
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
しもやけ おててが もうかゆい”
子供の頃、親にいわれて、庭の落ち葉の掃除をしました。
庭には山茶花の木があり、枯れ枝や落ち葉を掃き集めてたき火をしました。
なぜかそのころは、たき火が大好きで、喜んで庭掃除に励んだものでした。
老いてくると、昔の子供の頃のことが、すごくリアルによみがえってきます。
秋は、子供心にもしんみりとした気分になりました。
いま、その秋が目の前で、過ぎて行こうとしています。
やっぱり写真に留めたいと思いました。
ヨーロッパでは、蝶が大発生して群れていると言うけど
日本では、カメムシが大発生し、我が家にもやってきて、ひどい目に合いました。
蝶ならまだいいけど、カメムシは絶対ダメ!です。
これも気候変動の影響でしょうか?
12月に入っても、私たちの町では、気温が18度など、暖かい日が続いています。
暖かいのは、大歓迎ですが、いいことばかりでもなさそうで、戸惑う今日この頃です。
みなさんは、いかがお過ごしですか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
中秋の名月を眺めながら [風景]
今夜は、中秋の名月です。
夜中、床につく前に、ベランダに出て、月を眺める。
中天に光り輝く月光に風景が照らし出されている。
白い雲がたなびき、空には薄青く、
家々の屋根の向こうに山の稜線がくっきりと見える。
柔らかな光に包まれて、すごく落ち着いた気分になる。
日常の多忙さに忘れていたものを思い出させてくれるようです。
月光は、なぜか私の心を孤独で包んでくれる。
生きてることの意味を教えてくれているようだ。
退院して、久しぶりに哲学の道を少し散歩した。
すごく、この道が懐かしく、愛おしくさえ思えた。
生きてることの喜びを感じさせてくれる。
目に映るすべてが、待っていたよといってるように思えた。
百日紅が、まだ元気に迎えてくれた。
真弓の実もたわわに実り
紫式部も実を色づかせてきた。
途中、老犬のハチに合った。
人間の歳で言えば80代の老犬で、散歩が嫌いなのだ。
飼い主が引っ張って散歩させようとするが、帰ると頑張って歩かない。
飼い主さんがあきらめて、じゃあ帰ろうというと、やっと立ち上がり歩き出す。
しかし、その姿は、見るからに老犬歩き、前足と後足を左右それぞれ同時にだす。
しかも後ろ足は、少し左右に開き気味なので、見るからにヨボヨボ歩きだ。
家では、クーラーの部屋から出ないそうだ。
何下身につまされる思いがします。
哲学の道の掲示板、朝日がさしこみ一部赤く染めている。
道では、沿道の人たちがそれぞれ自宅の周辺の落葉の掃除をしている。
おかげで、私たち散歩者は、きもちよく歩ける。感謝です。
琵琶湖疎水に映る風景がきれいだ。
光を水面が反射して、絵画のようです。
帰り道、銀閣寺呼交差点で、女性の方がたった一人でスタンディングをしていた。
強い意志と勇気が無ければ、なかなか出来ないことです。
ステッカーは、自分で書いたという。
熱意に脱帽です。
女性の方の方がはっきりものをいう人が増えてきたように思われます。
社会的にいろんな面で女性は差別にあっています。
差別を無くそうという運動が世界的に広がってきています。
差別などに頑張って闘っている人たちに頑張れと声援を送りたい。
命拾いして病院から出てくると、世界の見方が変わってきたように感じます。
生きてること、ただそれだけで幸せな気分になるのです。
最後までおつきあい、ありがとうございます。
これからも、よろしく!!!
軍事政治を支えた人は、泣くことで終わりにする!-保阪正康 [風景]
京都の五山の送り火は、幸いにも台風7号が前日に通り過ぎてくれて
雨の無い送り火となった。
大文字は自宅から写真に収めることが出来た。
夜空を燃やすような送り火にあの世への急ぐ霊にはっきりを見えたのではと思う。
この行事に携わってくれている人々へ感謝をしたい。
先日テレビ番組「最後の講義」、ノンフィクション作家の保阪正康の講義を見た。
多くの皆さんもご覧になったとこだと思いますが
「歴史とは何か!」と題した講義だった。
日本はなんであんな愚かな戦争をしたのか、それを自分なりに伝えるのが
私の義務だと考えるということ。
歴史を実証主義的に解明することが大事だと思い、戦争の証言を4千人以上の方から得たという。
それも記者ととしてでは無く、個人として行ったという。大変な努力と苦労を要する活動です。
その講義の中で私の注意を引きつけた事柄を多少書いてみます。
その一つは、彼の経験の中から人間についての一つの法則、すなわち「1:1:8の法則」です。
それは一割の人は、本当に正直な人たち、もう一割は、全くの嘘つき、あとの8割は自分の
主観的願望を客観的な事実のようにすり替える人たちであるという分析です。
第二は、市民を自覚しない人は、国家に依存するということ。
市民としても権利の自覚が大切だということ。それが無いと国のせい、他人のせいでごまかす人になる。
第三はファッシズムは議会主義を否定する。
そして、アメリカの民主主義は、勝者の民主主義であると言うこと。
考えさせられることが多かった。
さて、前回に引き続き、のどかな山里の夏です。
稲田にサギが飛び交っていた。
民家の塀に顔を出した百合の花
稲田越しに寺院が昼寝してるように静まりかえっていた。
野辺の道
杉林の前の網の柵は鹿よけの柵
鹿はイノシシよりひどい農家の敵!
後半月ほどで収穫の季節になる。
この山里の風景をアップしながら思ったことがある。
都会のど真ん中で生まれ育った人、都会しか知らない人たちは、この風景を
どう見るのだろうか?
田舎育ちの私には、ノスタルジーを感じるのだけど・・・・・
最後まで読んでいただきありがとう!
ではまた、お会いしましょうね。
山里の冬と夏! [風景]
酷暑続きなので、涼をと思い、冒頭に山里の冬の風景をアップしました。
雪景色を眺めて、しばし暑さを忘れていただけるとうれしい!
今、日本中をお騒がせしてますマイナ保険証問題。
調べれば調べるほど、次から次へと問題が深まり、泥沼状態ですね。
このカードの作成は、あくまでも任意でありますが、健康保険証に紐つけし、保険証の紙は廃止すると
言うことからすでにおかしくなってきましたね。
これを実施すると言うことは、カードは、実際は任意ではなく強制ですね。
法的に矛盾を生じていることに私は、納得できないやり方だと思います。
その上に、膨大なミスが発覚し、その責任は誰もとらないという無責任体制。
住民票一つ間違えて他人のものが出てきたとうミス一つでもプライバシーの侵害です。
現に役所に行って他人の住民票を見ようとしても絶対に発行してくれません。
なぜなら、それはきわめてプライバシーだからですよね。
なのに現実は、他人も病気治療歴が漏れたり、年金受給口座が他人に見られたり
すごいことになっていますね。
国民のプライバシーは、ダダ漏れ!
それでも、ポイントまでつけて、ごり押ししている本当の目的は、どこにあるのでしょう!
運転免許証や母子手帳、銀行口座などの追加も取りざたされています。
暑い夏に、なんとも深い泥沼!
炎天下、山里に出かけてきました。
もやもや気分を解消するには、これが一番です。
うさぎ追いし かの山、こぶな釣りし かの川が思わず口に出る風景です。
棚田には、稲が実り始めていました。
日本固有種で絶滅危惧種のタキユリ(崖百合)
近くに寄ると、いい香りがします。
山里の夏の香りです。
では、良いお盆を迎えてください。
京都では、五山の送り火が16日の午後8時から順次点火されます。
次回またお会いできますように!
谷間の遅い春 [風景]
今日は「茶摘みの歌」が、口から出そうな天気に浮かれて散歩に出た。
「あかねだすきに菅の笠」は見れなかったけど(笑)「野にも山にも若葉が茂る」っていた。
この時期の新緑は、まぶしくさえ感じますね。
が、途中で雨に降られて、雨宿りしながら、多少濡れて帰宅となった。
ところで、先日夜に京大病院の担当医から電話があり、ct検査の結果、甲状腺に異常があるので
耳鼻科にかかるように連絡があり、早速耳鼻科を受診した。
鼻からカメラで検査だったけど、異常は確認できず、5月11日に細胞診をすることになった。
甲状腺がんの疑いがもたれているのです。
これで私にとって3つのエラーとなった。
というのも、キャッシュカードがエラーで使えず、再発行してもらった。
続いて第二に愛用のカメラが原因不明のエラーが起きて、1時間ほど使えなかった。
このエラーは、これも理由もなく修復された。
2度のことは3度ということわざがあるので、3つめは何だろうと思っていたら
私の甲状腺エラーだった。
このエラーも事なきで終わってくれるとうれしいのだが・・・・
街では、初夏の雰囲気だけど、北の谷間では、出かけてみたら遅い春だった。
谷間の春は、のどかで心が安まります。
知る人ぞ知る、かってのカフェのウエルカムロードの桜並木が満開だった。
民家の庭の桜も満開!
山桜の満開!
林では、わずかに新芽が出始めています。
棚田は、まだ冬のまま。
人影もなく、静かに眠っているような集落!
「春の小川は、さらさらいくよ」です。
せせらぎの音が、聞く人にのどかな気分を感じさせてくれます。
春は
初夏は
野に山に出ようと自然が呼びかけているようです。
一年で一番晴れやかで、心豊かにしてくれる季節が来ましたね。
うれしいです。
春は花、花は桜、桜は物のあわれ! [風景]
あちこちから急に桜のニュースが届くようになりました。
本格的な春の訪れですね。
待ちに待った春の訪れは、なぜか心をうきうきとさせてくれますね。
私の散歩道でもある哲学の道も桜が開花して、すごい人出となりました。
お店のオーナーさんも3年ぶりに戻ってきた!と興奮気味。
道は、混雑して立ち止まれないような有様です。
世界中の言語が飛び交っています。
国際色豊かです。
平安時代から桜は、日本人に愛されてきました。
西行法師は、桜の花の下で死にたいと歌ったくらいです。
どうして、桜は、こんなに愛されているのだろうか?
きっと、花の少ない時期に、ぱっと一斉に花が咲き、また、一斉に散っていく美しさ
いわゆる「もののあわれ」が日本人の精神に宿っているからではと思います。
江戸時代の国学者、本居宣長は
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠み
桜がもののあわれの精神的な具象になっているという。
藤原俊成は
「恋せずは人は心も無らまし 物のあわれも是よりぞしる」と歌っています。
平たくいえば、人を愛したことのない人間には物のあわれなんぞわかるはずがない。
よくまあ行ったもんですね。
それでは、桜も咲いたことですし、物のあわれを感じて味わいましょう。
冬枯れの木々も色づいてきました。
レンギョウも咲きました。
小さな楓
白爪草も咲きました。
ムスカリも顔を出しました。
椿も咲きました。
タンポポも元気!
ユキヤナギも満開です。
人家の庭には、侘助がさいていました。
最後の再び桜 枝垂れ桜です。
春はまさに花の季節ですね。
うれしい限りです。
みなさんもきっと桜を眺め楽しんでおられることでしょうね。
ではでは。
早春の哲学の道をぶらぶらと [風景]
春は、何をもって私たちに知らせるのでしょうか。
私には、それは光のように思えます。
春の光
冬の光に比べてて、強さを感じさせてくれる光です。
その光は、私たちの胸をなにかわくわくさせてくれますね。
体が沸き立つという表現がいいのかもしれませんね。
なにか陽気な気分になります。
そういうとき、フト青春という言葉が頭をよぎります。
人間の一生を季節にたとえれば春は青春時代ではないでしょうか。
3月の野辺を眺めていると、
枯れ葉色の野辺が緑に変わっていきます。
でも、春は緑色なのに、なぜ青春なんだろうと思った。
緑春じゃないの?
で、調べてみた。
『青春とは、元は春を表す言葉である。
二千数百年前の古代中国における陰陽五行思想では、「春」には「青(緑)」が当てられる。
同様に、「夏」を「朱(赤)」、「秋」を「白」、「冬」を「玄(黒)」に当て、
それぞれ「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」という。
これらは季節を表す言葉である。
また、陰陽五行思想において、「春」は15歳から29歳を表す。
これらの意味が転じて、
日本では特に「青春」について人生における若々しく元気で力に溢れた時代を指すようになった。
日本では夏目漱石の『三四郎』のヒットを機に定着したと言われており、
同書の『考えるには、青春の血が、あまりにも若すぎる』に代表される若者の焦りや葛藤を表す表現が、
現代に至るまでの青春のイメージを定着させたと言われる。』
いずれにしても青春は、過ぎて思うと素晴らしい人生の贈り物ですね。
ところで哲学の道は、今は早春
島崎藤村ではないけど
『緑なす(はこべ)は萌(も)えず
若草も藉(し)くによしなし』ですが
多くの海外の旅行者が訪れて、賑やかになってきました。
桜のつぼみも膨らみ、まもなく開花が近いことを告げています。
それでも、一本だけ先駆けの木があり、満開です。
ジョウビタキもまだ、飛び回っています。
中には、厳しい冬の季節にもめげず、花を未だに咲かせ続けているサザンカには敬意を表したいくらいです。
椿も負けず咲いています。
かと思えば、民家の庭では、梅の花が満開!
琵琶湖疎水の土手では、私の大好きな木瓜の花が咲き始めました。
実に人生の春は、二度と巡っては来ないけど
季節の春は、必ず回り来る!!!!
そして、私のような老人には、自分の青春を思い起こさせてくれる。
生きていることの、命の喜びを与えてくれますよね。
生きてることに感謝です。
待望の春が来た! [風景]
待ちに待った桜の季節がやってきた。
今年は、春が待ち遠しかった。
コロナの影響で、冬ごもりをしていたので
桜の花が眼にまぶしい!
生き物が活動開始した。
雑草までが芽吹き、緑が広がっている。
哲学の道に出かけてみると、多くの人で賑やか!
これまで見かけなかった海外の人の姿も増えている。
お店まで活気づいている。
レストランでは、空席待ちの列も出来ている。
これまでのコロナでの自粛がウソのように思えた。
これじゃあ、また感染が広がるのでは、心配していたら
ニュースで感染拡大の報道が・・・・・
どうも、この春もやはり油断できないようだ。
第7波だの、4回目のワクチンなどが話に登っていて嫌な感じ!
それでも春は、心が浮き立つ季節だ。
(ムスカリ)
(ボケ)
(ハナニラ)
(イカリソウ)
哲学の道
シニアのカップルがお手々つないで花見に。
カメラ目線のワンちゃん!
日本は花見で楽しんでるけど、ウクライナは大変なことになっていますね。
この戦争の最大の被害者は、子供と病人ではないでしょうか。
テレビや街頭でロシアの行動を非難する行動がなされていますが
私は声を大にして、ロシアもウクライナも武器をおけ!と言いたい。
戦争に正義の戦争などない!
双方の国が「正義」をいうが、戦争に正義など無いと思う。
正義の戦争を認めることは、戦争を認めることになると私は思います。
遅き春の兆し! [風景]
春がやってきた!
でも、昨年からすれば、遅い訪れです。
哲学の道では、昨年は、3月15日に桜が咲いていましたが
今年3月16日なのにまだつぼみが固い!
昨年が早すぎたのかも知れないが、
とにかく、桜の開花が待ち遠しい!
昔の人が「桜の木の下でお釈迦様の亡くなった日に死にたい」なんて
いってる人がいますが、私はいやじゃ!
死ぬどころか、春はわくわくする季節だ!
植物たちが一斉に活動を始める命あふれる春
コロナも有り、蔓延防止期間も解除になるようだし
コロナ感染からも解放されたい!
散歩道沿いの陶器のギャラリーののれん
お地蔵さんんも暖かい光の中で昼寝?
大文字山も眠たそう!
手袋も忘れられてしまった。
来週には、桜の便りも出来そうです。
九州の妹から電話があり、「こちらはもう初夏だよ、暑い」と言っていた。
日本列島は南北に長いので、春の足音もいろいろだなあと思った。
ニュースでは、ロシアとウクライナの戦争が厳しくなっていて心配です。
早く戦闘を双方共に辞めて貰いたい!!!!