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少年は大志を抱いていた! [哲学の道]

なんかいきなり猛暑日となり、体がついて行きません。

外に出ると、熱波に包み込まれるようです。

いまからこれでは、今年の夏はどうなるんだろうと不安になります。

ただ、暑いだけで無く、先日九州では大雨で、熊本は下前が氾濫して踏んだり蹴ったりの

大惨事になっているところがありますね。

猛暑の中での被害対策は、高齢者にとっては、すごく過酷なことに思えて気の毒です。


話は変わりますが先日の日曜日の早朝散歩でのことですが

男の子がランドセルとしょって歩いているのに出会いました。

「おはよう」と挨拶を交わし、「日曜日なのに学校?」と妻が聞くと

少年は、「塾」だという。

妻が大変だねというと彼は「楽しい」という。

「うんと勉強して、将来ノーベル賞を3つ取りたい」とびっくり回答!

妻が「ノーベル平和賞とれるといいね」というと

僕は理系が好きだから物理学賞、医学賞、化学賞です」だって。

歳はいくつかと聞くと11歳だという。

いや全く頼もしい少年である。

私たちもなんとなくうれしくなって、激励した。

彼は、元気のいい足取りで去っていった。

早朝散歩でお土産をもらったような気がしました。


散歩での出会いは、少年だけではありません。


朝日の当たる窓

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ヒメジョオンに囲まれたような哲学の道

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アガパンサス

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ヒルガオ

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ヒメオウギズイセン

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ネムノキの花が満開

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アジサイ

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小判草

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マツバギク

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悲しいことになぜか桜の木が枯れてしまったようで、葉がすべて茶色に!

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僕らを迎えてくれる「ムーミン谷のいじわるミイ」

体はとても小さいけれど、勇敢で独立心旺盛なミムラ族の女の子です。

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猛暑日が続く間は、やっぱり早朝散歩が涼しくていいですね。

ミイも見守ってくれていることだし(笑)

お立ち寄りありがとうございます。

皆さんも猛暑にまけない日々を送ってください!


ではでは、またね。







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哲学の道での思い!-最後にちょっぴり哲学!? [哲学の道]


この季節初めての涼風が吹く朝に哲学の道を散歩する。

空は晴れて、気持ちがいい。



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草むらからは、虫の鳴き声が聞こえてくる。

桜並木からは、ツクツクホウシの鳴き声!

が、その鳴き声の終わり方が、どうも調子外れで

肺の悪い私には、タイミングが狂わされて、息苦しくさえなる。

決して、セミのせいではないのですが・・・・・



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早、桜の葉がいろづきはじめて、枯れ葉が道を賑わせている。

秋が来たんだと実感させられた。


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疎水では、カモのカップルが遊んでいる。


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誰が置いたか柿の実が杭のうえにちょこんと置かれている。



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花も元気いっぱいだ。


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(アサガオ)


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(キョウチクトウ)


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(ホテイアオイ)


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(ユリ)


今日は日曜日のせいだろうか、人でも超少ない。

沿道沿いの弥勒院の前のベンチで一休みする。

セミの声も止んで静かです。

お堂の前ののぼり旗が、風にあおられて時折パタパタと鳴っている。

なにか、ある種のもの悲しさを感じました。


朝日の当たる草むらに金色に光る小さな点を見付けた。

本当にきれいです。

ぼんやり眺めていたら、その光の色が青色に変わってしまった。

太陽の光線の加減だと思われる。

近づいて眺めれば、ただの水滴でした。


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散歩道には、石碑があります。

「哲学の道」の名付け親である京都大学の哲学者西田幾多郎氏の

言葉が刻まれている。


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曰く

人は人 吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾は行くなり 寸志


 コノ歌はハ西田幾太郎先生晩年ノ作デ 書ハ昭和十四年ノ自筆ニヨッタ

 人生ノ指針ヲ示シタ碩学ノ教エトシテ 哲学ノ道ヲ散策スル人々ニ

 愛唱シテホシイ チナミニ寸志トハ先生ノ居士号デアル

                      昭和五十六年五月」


妻はこの言葉が気に入ったらしく、何度も私に告げるのですが

私は最初、「そんなの当たり前じゃん」と軽く受け止めていた。

でも、添え書きを読んで反省しました。


これが書かれたのが昭和14年という時代で合ったという事

昭和14年といえば、その2年前の7月7日に日中戦争が勃発し

前年の昭和13年4月1日に国家総動員法が発効し

日本の国中が戦争に沸き立っていた時代です。

そして、当の昭和14年には、ドイツがポーランドへ攻め込み

第二次世界大戦が始まった年です。


国内では、思想統制が強化され、治安維持法による逮捕者が増え

とうとうその弾圧は宗教団体、学術研究会、芸術団体まで拡大されるという時代

そういう時代で、「人は人吾はわれ也」と言明することが、難しい中での発言は

非常に勇気と覚悟のいる事だったと思います。

今では「当たり前じゃん」でも「当たり前」じゃなかった時代があった事を

忘れてはいけないし、時代と共に物事を見る眼が必要だと痛感しました。

西田幾多郎さん、ごめんなさいです。

哲学の道で、ちょぴり哲学しました!





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