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日残りて、暮るるに、未だ至らず! [心の風景]

11月も中旬になるのに暖かな日が続いていますね。

寒がりの私にとっては、好ましいのですが、地球規模で考えたら

疑問が残ります。

地球の温暖化への明確な方針と取り組みがなかなか実現しません。

総論賛成、各論反対みたいな状況が続いていますね。

おまけに日本は世界でただ1国の『化石賞』受賞国という不名誉!


日本では、コロナ感染が治まらず、第8波がやってきています。

もう、うんざり気分ですね。

私も先があまりない命ですが、コロナで死にたくはありません。


でも、時折、自分の生きている価値に不安を感じます。

焦燥感や空虚感に襲われます。


私の好きな作家、藤沢周平氏の『三屋清左衛門残日録』の名文句

「日残りて、暮るるに、未だ遠し!」があるけど

私の場合は「日残りて、暮るるに、未だ至らず!」です。

『遠く』ではありません。


ところが、ある人が「生きていることを誇りに思うことが、

人間にとって最も大切なことだ」というのです。

このことが揺らぐと命を軽んじる社会になるという。

障害者や病人、高齢者が社会から排除される方向に行き着くというのです。


ですが、それでも私は、生きているだけでは生きていけない想いいっぱいです。

何かしなければと未だに生きがい探しの日々です。


哲学の道を日々散歩しながら「哲学」してます(笑)


銀閣寺道交差点は秋晴れの空の下に輝いています。


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日に映える哲学の道

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真弓の実が赤く色づいています。

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弥勒院の白壁

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弥勒院の幸せ地蔵尊

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「お兄ちゃん、お帰り」と小さな妹さんがお迎え!

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沿道の民家の猫

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幼稚園児が遠足!

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こちらでは、高齢者のご主人が奥様の手を引いての散歩!

ほほえましい気分になりました。

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ツワブキの花もきれい!

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可愛いお地蔵さん。お店の招き人形役です。

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峰の松の眺めがいい。

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小学生がごあいさつ!

可愛い限りです。

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夕日の差す哲学の道

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お家に帰ろう!


いつもご訪問ありがとうございます。










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カミングアウト 衝撃の1冊 [心の風景]

今日は、哲学の道を歩きながら、花を眺め、思っていたことを書いてみます。

私のカミングアウトのひとつです。


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          衝撃の1冊

 私は、僧侶の父を持ち、父が仏教とフロイトの精神分析学を融合しようと
試みている姿を見ながら、複雑な家庭で、悩み多き青春時代を過ごしました。
 中学に進学したころから、ゲーテ、ヘッセ、芥川の作品やフロイト、ユングの著書
を読みあさり、人生って何だ!生きる意味とはなんだということを自分なりに徹底的
に問い詰めてきました。
必要な本は、すべて父の本棚から得ました。
 
しかし、当時は、「人生のゆるぎない真実は、人は日々死に向かって進んでおり、
何人もこの真実から逃れることは出来ない。すなわち人は死ぬために生きている。」
という絶望的な結論しか持ち得なかったのです。
 
親しかった高校の級友は、卒業式の翌日自殺してしまいました。
私は、その時、先を越されたと感じました。
 
私が自殺できなかった理由は、「一度自殺したら、2度と、あのきれいな夕焼けと
草原を見ることが出来ない」というしごく単純なことでした。
そして、高校を卒業し、生家をでて、東京駒場の叔父の家に下宿し、駿台予備校に
通っていたある晩秋の夕方、机に向かい、窓の外の紅葉した庭木の葉が風で飛ばさ
れていくのを眺めながら、生きることの空しさに絶望し、ただただ泣きました。
涙が止まらなかった。
生まれてこなければ良かったと思いました。
その後、長い間死ぬことだけを考えて生きてきた。
「自殺」を恋していたといっても過言ではなかった。
 
 そんな私の考えを変え、生きる意味を教えてくれたのは、ある日偶然手にした
V・E・フランクルの著書「それでも人生にイエスと言う」だった。
 
彼が云うには
「私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。」(「それでも人生にイエスと言う」p27)
「生きている意味がはっきりと問題視されるとき、すでに生きている意味がどこか
疑わしいものになってしまっています。
けれども、人間として生きている意味を疑うと、絶望にいたるのは簡単です。
この絶望は、自殺を決断するという形で、私たちの前に立ちあらわれます。」
(同前述p19)という言葉だった。
 
フランクルのこの言葉は、私にとって大きな衝撃だった。
本を持つ手が震え、胸が高鳴った。
目からうろこという言葉は、このときのために用意されたもののように感じました。
自分の人生の答は、外にあるのではなく、自分の中に、自分の責任の一部として
自分で作れというのだ。
何故か私には、非常に嬉しかった。
夢中でフランクルの著書を買い集め読みふけりました。
 
 私はフランクルの言うように絶望はしたけど自殺はしませんでした。
フランク流にいえば、その時の私の人生には「きれいな夕焼けと草原を眺めることが
できる」という意味があったのだと思う。
 フランクルに出会ってからの私は、自分の死を正面に見据えながら、
かけがえのない時間を大切に生きて来ました。

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ローセル (ベニアオイ)

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沿道のお家の庭には、かわいいカエル君が愛嬌を振りまいていたよ。


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哲学の道には、朝日が降り注ぎ、のどかです。


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吾亦紅の季節になりました。

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ヒガンバナ(曼珠沙華)も

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真弓が、実を付けてきた。


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緑の葉をかき分けてヒオオギズイセンが顔を出してきました。

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萩の花も頑張って咲いています。

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小さくきれいなイモカタバミが一輪!

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ザクロの実も赤く実り始めました。

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弥勒院の前では、ご婦人と幼児が朝日の中で落ち葉掃きに精出しています。

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花は季節を、人は営みを伝えてきます。

この平和な姿が、何時までも続いて欲しいと願ってやみません。

戦争が最大の犯罪と思います。

理由の如何に関わらす、戦争には反対です。



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青春の愛と孤独 -草の花- [心の風景]

お盆を過ぎても、暑さとコロナは衰えませんね。

本当に辛いです。

出かける気力も失いました!

で、散歩は早朝にして、後は家にこもってます。



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散歩道で小さな古本屋さんに立ち寄った。

フト気になって買った本が福永武彦氏の「草の花」

文庫本の古本で文字が小さくて読みづらい。

でも、頑張って読み通した。



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愛を求めてやまない孤独な青年が、愛のために

一層孤独を深め、孤独の内にひとり死を迎えるという作品である。

愛する人がいながらも、いつ来るかも知れない召集令状(赤紙)に

おびえながら生きる姿。

令状を手にした時の生きることへの絶望感。

青春の愛と孤独、そして、生と死の苦悩!


気になる一節が脳裏から離れない。

「僕等のように芸術家でない人間にとって、人生は彼が生きた

その一日一日と共に終わっていくのだ。未来というものはない、

死があるばかりだ。死は一切の終わりだ。現在というものはない。

.......そう、多くの場合に現在さえもないのだ。そこには過去が

あるばかりだ。それは勿論本当の生きかたじゃあるまい、今日の

日を生きなくて何を生きると言うのだ。

しかし、人間は多く、過去によって生きている、過去が、その人間を

決定してしまっているのだ。生きるのではなく生きたのだ、死は単なる

しるしに過ぎないよ」


戦時下の理知的な青年の現実は、読んでいる私の心までふるわせた。

気がつけば私は、福永氏の世界に染まってしまっていた。

1954年(昭和29年)の作品です。

これは散歩の収穫でした。


見知らぬ人とお近づきになる最初は、あいさつ!

次ぎにお花の話題!ですよね。

で、お花の写真をご挨拶代わりにアップしました。


ユリズイセン(ユリズイセン科)

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イトバハルシャギク(キク科)

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エキナケア パリダ「パープルコーンフラワー」(ワスレナグサ科)

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サルビア ミクロフィラ(シソ科)

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ヘメロカリス ボーダースペッシャル(ワスレナグサ科)

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ヘメロカリス メリンダ(ワスレナグサ科)

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ダリア お手玉(キク科)

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ハイビスカス(アオイ科)

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枝垂れ ナツツバキ(ツバキ科)

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カモの昼寝!

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やっぱり夏は青い空が一番ですね。

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コロナの死者が過去最高とニュースに流れていますが

完全に日本は、医療崩壊してますね。

救える命がむざむざ失われていく!

なんという残酷な事でしょう!

ウクライナがどうのと言ってる場合かと思います。

おまけに政治はオカルト教団に牛耳られてるようなもの!

医療だけでなく、日本が崩壊しそうですね。

民主主義の危機です。











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二つの天国? [心の風景]

明日は雨と云うことで、今日の天気は、曇り!

晴れていたら、暑くて汗をかく散歩も、涼しいものになった。


道路より一段と高い哲学の道のベンチに腰を下ろし、二人寄り添って、

私は妻が買ってきてくれたコーヒーを飲む。

妻もカフェオーレを美味しいといって飲んでいる。

黒い雨雲が頭上を流れていく。

今日は人も車も少なく、吹く風に騒音はかき消されている。

ただ、風が桜の枝を揺すりながら、吹き抜けていく。

なんともいえないさわやかな気分になる。

ふと、天国って、こんな感じ何ではと思った。


天国といえば、死後の世界のことだと思い込んでいたが

今、自分が座り、生きているこの世界も天国といえるのではと思った。


あの世の天国は、悩むや苦悩のない世界なのだろうが、

この世の天国は、悩みも苦悩もあるが、それでも尚、

道行く人々にさえ、慈しみを感じ、おだやかな気分でいれる。

そんな世界ではないかと感じた。


半世紀を共に生きた妻と、いまこの時を二人で楽しめる幸せに

心が満たされた。

まさに、これは私の天国です。


さて、散歩は、いろんな花たちとの出合の機会を与えてくれます。

花を愛でながら歩くのも、楽しい楽しいひとときです。


そこで、心に留まった花たちをアップしました。


キングサリ

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セイヨウバイカウツギ

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ハクチョウゲ

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ソシンローバイ

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アーモンド

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ドイツアヤメ チャーターオーク

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エウフォルビア マルチニ アスコットレインボー

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グラディオルス コツムニス

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クレマチス ジョセフィーヌ

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花たちは、人が見ようが見まいが関係なく、美しく咲き誇ります。

きっと花は、自分自身を生きているのでしょう。

私も体は老いても、心に花を咲かせたいと思います。


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花から眼を空に映せば、明るい緑をまとった木々の姿が

心を満たしてくれます。

今は、本当に自然の息吹に満ちた季節ですね。










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人生の追体験 [心の風景]

最近友人が、中島みゆきのニューアルバムが出てるよと教えてくれた。

そういえば、私はここんところ中島みゆきとは、ご無沙汰である。


以前は、熱烈なファンでした!

なにしろ、最初に出会ったのが「わかれうた」でした。

曲もさることながら、その詩(歌詞)にびっくりした!!!!!

私の世界をいきなりぶちこわされたような衝撃でした。


歌いきなり次の詩ではじまる。

「途に倒れて だれかの名を

 呼びつつけたことが ありますか

 ひとごとに言うほど たそがれは

 優しい人好しじあありません」


途に倒れて誰かの名を呼び続けるって、

すごい状態ですよね。

たそがれ時に途に倒れて叫ぶような気持ちは

ただ事ではありませんよね。


おまけに僕は、そのたそがれが優しいと信じていたんだ。

そう、堀口大学の詩

「夕ぐれの時はよい時」に心酔してた。


詩に曰く

「夕ぐれの時はよい時

 かぎりなくやさしいひと時」

の詩各段落の最初をリフレインがかざる。

私は第二段落が特に好きでした。

「若さにほう人々の為には、

 それは愛撫に満ちたひと時、

 それはやさしさに溢れたひと時、

 それは希望でいっぱいなひと時、

 また青春の夢とほく

 失ひはてた人々の為には、

 それはやさしい思ひ出のひと時、

 それは過ぎ去った夢の酩酊、

 それは今日の心には痛いけれど

 しかも全く忘れかねた

 その上の日のなつかしい移り香。」


みゆきの「わかれうた」に心をひかれた後に

ある日の夕刻、歌と同じような女性にばったり出会い

二度びっくりした!

現実にそんな人がいるんだと言うことに衝撃を受けた。


自分は、どんな悲しい事があっても、出来ないことだと思った。

それは、私の青春時代の忘れられない思い出となりました。


みゆきさんの「ひとごとに言うほど」というのは

この堀口大学のことをさしているのだと思います。


どんな時でも、どんな場所でも

人の心の数ほど、感じ方が違うのだと言うことを

学びました。


およそ芸術作品とは、人の心の具現化されたものだと思います。

芸術は、自分の知らない世界を学ぶことが出来ると思う。

芸術を鑑賞することは、自分とは異なる、あるいは同じ人生を

追体験することではないかと思うようになりました。


それでは、芸術では無いけど、風景の追体験を!

植物園を歩きます。

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(ハナナ)


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(セツブンソウ)


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(コウシンバラ)


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(ロウバイ)


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最後に冬枯れのメタセコイア並木が青空に輝いていました。

小春日和の明るいほの暖かい日の散策です。

あとは、早くコロナウイルスの感染が終わり

ウクライナの戦争が終わる頃を願ってやみません。











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青春と共にある本 [心の風景]

我が家の庭のボケの花が咲き始めました。


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散歩に出ると笑える風物にも出会います。


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散歩道にある古本屋さんで「草の花」(福永武彦)と

「我が愛する詩人の伝記」(室生 犀星)を

それぞれ100円で買った。

ところが、ちょっと難儀な問題に気がついた。

活字が小さくて読み辛いのです。

改めて昔読んだ本を書棚から引き出して見ると

これらも,みんな字が小さい。

活字が小さくなったのではなく、私の視力が老いたのだ。


ホント云えば生涯の友のような本を誰でも持っていると思うけど

私は、ドイツの作家ヘルマンヘッセが高校時代から大好きでした。

きっかけは、父の書棚から偶然取り出して読んだ本がヘッセの本でした。

「郷愁」という表題の本です。

この作品に見せられて、以来ヘッセファンです。


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私はこの本を父からいただき、今でも大切に保管しています。

本の表紙の絵画もお気に入りです。

この絵もヘッセの作だそうです。


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燃え上がるような青春時代をいまも私に想起させてくれます。

もしも興味のある方は現在「青春彷徨」というタイトルで

文庫本が販売されていますので、是非購読してみてください。


道の花も少なくなったけどまだ、大好きなマユミが頑張っています。


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ロウバイが満開


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いろいろ空想や妄想をしながら、歩くもの楽しいものです。

青春を回想する年頃になりました。

心にはいつも青春を抱えていたいこの頃です。

寒さも厳しく、天気もいまいちの日が続いていますが

コロナに負けないように生活したいと思います。









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私の晩秋 [心の風景]

毎日呪文のように新型コロナウイルスの流行についてメディアは賑やかです。

本当にこの流行は、早く終わりが来て欲しい!

本当は、晩秋こそ静かであって欲しいと思う。


私は晩秋と言う言葉のもつ雰囲気が好きだ。

田舎育ちの私にとって晩秋は、非常に趣があると共に寂しさを感じます。

その気分を心に焼き付けてしまった出来事が中学生の時にありました。


それは、偶然目に留まった朝日新聞の下段に掲載された本の広告です。

原田康子の小説「挽歌」の宣伝でしたが、30万部突破という記事と共に

丘の上で少女が画板を脇に抱えて立っているイラストだった。

詳細は忘れましたが、その広告に描かれた風景が

私の心に強烈に焼き付いてしまった。

それは郷愁と言う言葉で言い表せるような気持ちです。


私は当時、九州で、北海道なんか遠い世界でした。

故郷から、出たことも無い私が郷愁を感じるなんて、少し変ですが

その広告の北海道の風景が郷愁として心に焼き付きました。

「挽歌」を読んだのは、高校に入学してからですが・・・・

たった一枚の新聞広告が、どうして、そんな力を発揮したのか

私自身もわかりません。


以来、なぜか晩秋と挽歌が一体の物として、半世紀をこえて

私の中で生きているんです。



<晩秋の花>


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                     メアリーローズ


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                  かがやき


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         クニフォフィア


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                    雪中花



<晩秋の風景>

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            フウ



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晩秋の木々の風景は、いくら眺めていても飽きない。

そして、物思いに引き込まれてしまいます。

私は、まだ生きているんだ!と。




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ロマンチック・ロシア展を見て思うこと [心の風景]

岡山県立美術館で開催中の「ロマンチック・ロシア」展に出かけた。
ロシアの絵画は、滅多に触れることが出来ないので、絶好のチャンスだった。



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私はロシアの風景画に魅力を感じていたのだが、展覧会の中心は
やはり「忘れえぬ女(わすれえぬひと)」(日本で命名)原題は「見知らぬ女」だった。
ポスターでは「あなたの視線が、離れない」
「ロシアのモナリザ」なんて描いているけど、
私にとっては、邦題のように"忘れえぬ女"というか、絵画の一つである。



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この画家は、イワン・クラムスコイで、彼はトルストイの肖像画も描いている。
ちょうど、トルストイが小説「アンナ・カレーニナ」を執筆中に
彼の家に同居して肖像画を描いていた。
アンナ・カレーニナの作品中に、イワン・クルムスコイの特徴を体現した
画家がアンナ・カレーニナを描く描写がある。


忘れえぬ女は、アンナ・カレーニナの刊行された6年後に完成している。
発表された当初は、女性が無蓋の馬車に乗っているという理由だけで
高級娼婦では無いかと酷評された。
ロシアでは、女性が馬車で移動するときは、馬車に覆いをかけて、
素顔をさらさないのが貴婦人の常識だったという。


しかし、多くの人が、この絵はアンナ・カレーニナを描いていると考えた。
トルストイの描くアンナ・カレーニナの特徴をこの絵は、供えている。
で、アンナ・カレーニナの本の表紙に使われたりしたのだ。


アンナ・カレーニナは女性という差別の中で、愛に悩み、
ついに鉄道自殺をするという、まさに悲劇のヒロインである。
彼女は、当時の社会の道徳的差別的な決まり事に挑戦した女性だった。


さて、この「忘れえぬ女」と向き合って見ると
冬の冷たい靄が立ちこめるサンクトペテルブルグのネフスキー通りに
幌を降ろした馬車に乗った全身黒ずくめ、黒のリボンの女が
背筋を伸ばして、私を静かに見下ろしている。


一見驕慢にも思えるが、よく見ると毅然としているのだと思えてきた。
さらによく見ると、目には涙を貯めている。
絵画の正面からでは無く、彼女の目線に正面から眺めたとき
向かって鼻の左側に一点ひかるものがある。
私には、それは涙の粒に見えた。
この人は、泣いているのだ!


私は、自分なりに、理解が出来た。
彼女は、社会の道徳的差別的な決まり事に挑戦し、死を決意した女性なのだと。
馬車にのって、死の世界にりんとして出発しようとしているひとの姿なのだと思う。
アンナ・カレーニナもそういう女性の一人であるが、イワン・クラムスコイが
この絵について「見知らぬ女」以外に何も語らなかった意味も理解できた。
だからこそ、また忘れえぬ女なのだと思う。


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哲学の道で哲学!? [心の風景]

2017年1月10日(火)

今日は、この月にしては、比較的暖かな日である。
天気に誘われて、哲学をしに哲学の道へ出かけた。

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どういう訳か、道には人気が無い。
別にさみしいわけではなく、これぞ哲学するにふさわしい。

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季節柄、色気がないのではと思っていたが、とんでもない。
たわわに実った南天の実が出迎えてくれた。

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山茶花も誇らしく咲き誇っている。

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雪が降っているかのような低木もあった。

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さらには、ロウバイも花盛りである。

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さすが正月で門松も見受けられた。
門松というとこんなのをイメージする人が多いと思うけど

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本来は、こちらなのだ。

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平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った
「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、
現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」といって飾られている。

松は、神が宿る縁起の良い木で、古来から愛用された。
思い出して欲しい。
能舞台の背には、必ず大きな松の絵が描かれているし
庭園では、必ずと言って良いほど松が植えられている。

門松の意味は、待つが転じて松となった。
「門で新年の福を待つ」の意味であるというのは、
私の勝手な意味付けですが、
まあ、そういう気持ちで新年を祝いましょう。(笑)

ところで、哲学の道には、お地蔵さんがいらっしゃるのだが
その横に鍵の掛かった賽銭箱がある。
なんと念入りにも、賽銭箱に雨が入らないようにふたがしてある。
そもそも賽銭箱に鍵がかけてあるのには、
私は納得できないのである。

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こちらのお地蔵さんには、賽銭箱はない。
木彫りの可愛い作品である。

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もともとは、社寺やお地蔵さんの前に賽銭箱など無かった。
お供えは、五穀だったのだ。
しかも、お供えした物は、寺社などの所有物ではなく、
神や仏様のものであり、そのお下がりを飢えた人がいただいていた。

五穀とは古事記では、稲・麦・粟・大豆・小豆、
日本書紀では、稲・麦・粟・稗・豆となっている。
それがやがて米となり、ご飯となり、貨幣が普及すると
お金になった。

でも、お供えした物を誰がどのようにしようが良かったのだ。
飢えた方々がそれをいただくことで、意味が満たされたのである。
それは、今流にいえば、慈善事業、福祉事業ににたとえられる。

他の例でいえば、水上勉の「はなれ瞽女おりん」ではないが
瞽女だって立派な福祉事業だった。
盲目の少女を預かり、芸を教え、農閑期に村々を回り
門付けをして、彼女らの生計をまかなっていたのである。
そのようなことでもなければ、盲目の少女は生きていくことさえ困難だった。

昔、お地蔵さんに供えられたおにぎりを涙と共にいただいた人がいたはず。
現代の「こども食堂」の役割を果たしていたと思う。
いにしえの庶民は、「お供え」という形式で助け合っていたのだと思う。
日本人の美しい心意気である。
美しい日本というなら、こうありたいものである。

幸い、わが生家の寺院では、賽銭箱に鍵はない。
いまでも、それをたよりに来る人がいる。
日々のお金に困っているという人がいるのだ。
でも、彼らは、全部持って行かないのだ。
なにがしかのお金を残してある。
いただく方にも、美しい心が生きているのだ。

日本国憲法には次のような条項がある。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
 向上及び増進に努めなければならない。

賽銭ではなく、国の制度として、貧しき人を救うことは、
国民全体の心を豊かにしてくれるのではないだろうかと思う。


夫婦の愛は [心の風景]

2016年7月29日

偶然だが、ある論文を読む機会を得た。
タイトルは、「夫婦の愛情と個別化志向からみた夫婦関係-中高年期夫婦を対象に-」というものである。
この論文は、文京学院大学人間学部研究紀要Vol.14, pp.1 ~ 13, 2013.3(研究者 伊藤裕子・相良順子さん)に
発表されたものであるが
この調査の結果次のことが判明したという。
 
「本研究は,中高年期の夫婦を対象に,個別化志向と夫婦の愛情の2 軸による4 型の夫婦関係にどのような違いがみられるかを検討した.40 代から70 代の配偶者のいる男女888 名を対象に,夫婦の相互性,関係満足度,離婚の意思,低勢力認知,分業観,精神的健康が尋ねられた.
対象者は,愛情が高く個別化志向の強い自立型,愛情は高いが個別化志向の弱い共同型,愛情・個別化志向とも低い規範型,愛情は低く個別化志向の高い脱結婚型に分類された.その結果,自立型と共同型は多くの点で共通し,夫婦関係の良好さ,ならびに精神的・身体的健康の高さが見い出された.それらを規定しているのは夫婦間の愛情だった.なお,この両型を異ならせているのは性別役割分業観だった.一方,愛情が少ない点で共通する規範型と脱結婚型は,前者はまだ夫婦関係を形として保っているものの,後者は良好でない夫婦間の摩擦を避けるために個別化を志向していると考えられた.これまで指摘されてきた個別化(個人化)を志向する者における夫婦関係の非良好性は,自立型と脱結婚型が混在したために生じたものだといえよう.」

 この論文で、最も印象的だったのは、「規範型」と「脱離婚型」の夫婦には、健康状態が悪いという有意差が
認められたと言うことである。
すなわち、夫婦関係が悪いことが健康にも現れているというのである。
逆に愛情のあふれた夫婦は、若々しく見えると言われているが、意外と正しい判断かも知れない。
もう一つ、びっくりしたのは、調査対象の「50 代の女性では,夫と一緒の墓に入ることを望まず,
別室で就寝する者が2 ~ 3 割に上るという」というから驚きである。
そんならなんで結婚したんだと思わず言いたくなるのであるが、
そのような人でも結婚するときは、熱いものがあったはずだと思うのは、私だけだろうか?
この論文からも感じるのであるが、夫婦円満のバロメーターは、一言で言えば、
夫婦相互の日常会話の量ではかれるのではないかということである。

ある人が「夫婦円満の秘訣ベスト10」というものを発表してるが、それによると
1位 会話
2位 思いやり
3位 感謝すること
4位 おいしい食事
5位 干渉しすぎない
6位 相手を尊敬・尊重する
7位 セックス
8位 スキンシップ
9位 たまに喧嘩をする
10位 ペットを飼う(但し依存してしまえば逆効果)
だそうだ。

ここでも会話が一番に来ている。
しかし、これらは夫婦生活を円満にするノウハウかも知れないが、
そこに愛情というものが基本になければ、仮面の夫婦ということになるのではないだろうか?
この愛情についてですが、愛情は「あるもの」と思い込んでいる人がいるように思う。
愛情が「あるもの」と思い込んで夫婦生活に入る人は、破綻するケースが多いのではないかと思う。

私は愛情は「あるもの」「与えられるもの」というものではなく
それは「生まれるもの」「創るもの」であると思う者の一人である。
愛情は、ある人に出会うことによって生まれ、そしてその人と共に育てていくものであるといことを
間違えるといつか破綻するのである。
それ故に愛情がある夫婦がいつの間にか破綻し離婚することになり、
愛とは関係なく政略結婚などで結婚した夫婦が愛を育てて、
愛情あふれる夫婦として添い遂げる場合も出てくるのだ。

では、愛とは何を温床にして生まれるのであろうか?
それは自己存在の意味と深く結びついていると思う。
すなわちその人の人生観なり、生き方を温床にしてると思う。

人はそれぞれ違う。まったく同じ人間などいるはずがない。
が、人生観や生き方は、その人の存在そのもので有り、それは共有することは出来るのある。
この共有こそ、愛の正体ではないかと思う。

その論拠の一つとして、二人のシンガーソングライターの歌を示したいと思う。

一つは、南こうせつ氏の「赤ちょうちん」
https://www.youtube.com/watch?v=kLoHLh56z5k

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愛する人と別れたとき彼女が感じたことは
「生きてることは、ただそれだけで哀しいことだと知りました」と言うことである。

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一方、松山千春氏の「炎」
https://www.youtube.com/watch?v=JbcJxZITB5M

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愛する人を得た彼女は
「貴方にめぐり逢えて、悔いなどないわ、生まれてきたことさえ、幸せと思う」のだ。

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この二人に共通するのは、なにか?
それは自己存在の評価です。
このことは、自分の存在価値を特別に相手が愛おしく認めてくれているかどうか、
特別な人として自分を必要としてるかどうかということであろう。
自分と同じ人生観や生き方を共有できる人から、生きていく上で必要とされているということは、
人として最高の人生を得たといえるのではないだろうか!