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春は来にけり [ぶらり生活]
気温が20度という暖かな日である。
表の道路では、親子がバトミントンを楽しんでいる。
のどかな風景である。
私もなぜか久し振りにのんびりした気分になった。
表の道路では、親子がバトミントンを楽しんでいる。
のどかな風景である。
私もなぜか久し振りにのんびりした気分になった。
今朝は春眠暁を覚えずで、朝寝坊していたら
窓ガラスをたたく音で目が覚めた。
二階の窓を人がたたけるはずはないと不思議に思って
カーテンを開けると、なんとすずめ達である。
なんだか、「いつまで寝てるんだ」と言わんばかりに騒ぎ立てる。
それがおかしくて、思わず笑えてきた。
今日は楽しいことがありそうな気がしてきた。
ところで先日友達を誘って、植物園に出かけた。
まだ、入園者も少なくて、落ち着いた雰囲気である。
午後の散策には、最高の場所である。
大きな樅の木の下では、読書にふける人もいる。
見上げると大きな実が沢山ついていた。
早咲きの桜を銅像までが眺めていた。(笑)
冬の間、見るからに寒そうだった噴水も今日はすがすがしく感じる。
(ゲンカイツツジ)
桜かと思ったら杏だった。
(カンピザクラ)
(シュウゼンジカンザクラ)
歩き疲れて、柳の木の下のテーブルで菓子を食べながら歓談
花より団子のたとえがあるが、僕らは「花より歓談」
新緑の柳を見ると思い出すのは啄木の歌
「やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」
妻はこの歌をこれまで、なかなか覚えてくれないのであるが、
今日は覚えてくれた!
すごく絵画的で望郷の歌としては、完成度の高いものがある。
私の好きな詩の一つだ。
帰り道、京都府立大学の卒業式があったようで
和服姿の女学生の集団にいくつかあった。
卒業の季節でもあるのだと改めて思った。
まさに春は来にけりである。
夜が響く [本]
ここ数日の暖かさは、3月としては尋常ではない。
歩いていると汗ばんでくる。
歩いていると汗ばんでくる。
この暖かさに驚いたのか、庭では、
ボケの花がびっくりしたように一輪咲いた。
梅の花やクリスマスローズも頑張って咲き続け、
シロバナジンチョウゲが香りを振りまいている。
私も陽気に誘われて、哲学の道に散歩に出かけた。
桜のつぼみが大きく膨らんでいる。
来週あたり開花するのではと思う。
道ばたに於かれた椅子が鎖でつながれている。
こうしなければ、持っていかれるのだろうか?
少し切ない風景である。
先日、大学時代の友人秋野氏から詩集「夜が響く」が届いた。
彼女の手にかかると小さな生き物が大きな存在となって
読者に迫ってくるから不思議である。
ふと「虫めずる姫君」という言葉が頭に浮かんだ。
が、私に深い印象を残したのは
「きっと、それは話せないのだ」という詩である。
戦争から帰ってきた父親のことを歌っているのであるが
戦地の話をしない父親が70歳をかなりすぎてから
「戦争は人殺しとレイプなのだ」と怒りをはき出したという。
私の父親も招集された。
通信兵だったとかで、モールス信号には詳しかった。
行軍中は、他の兵士と同じ装備の上に通信機を担いで行かなければならず
大変苦労をしたらしいが、戦闘が始まれば司令官の傍で安全だったという。
それで父は生きて帰れたのかも知れない。
しかし、私の父もそのほかの軍隊の話や戦場の有り様は一切口にしなかった。
私の父もきっとそれは話せなかったのだと思う。
が、たまに父が呆然とした様子で椅子に座っている姿を目にした事がある。
その時、父の指だけがテーブルを叩き、モールス信号を打っていたのを覚えている。
戦争にかり出されると言うことは、
家族にも話せないものを抱え込まされるのであろう。
確かに戦争とは、人殺し以外の何もでもないのだ。
生還 [絆]
机に向かって書き物をするのは、今年初めての事となった。
ブログも久方ぶりである。
私は、持病柄、寒さには苦手なので、冬の間は冬眠と決め込んでいたが、
その甲斐もなく恐れていたことが突然やってきた。
ブログも久方ぶりである。
私は、持病柄、寒さには苦手なので、冬の間は冬眠と決め込んでいたが、
その甲斐もなく恐れていたことが突然やってきた。
救急車でと思ったが、どこの病院に運ばれるかは不明のなので、
自分でかかりつけの病院に妻に支えられて必死の思いで出かけた。
私のレントゲン写真を見た診察医の最初の一言が
「どこで呼吸してるの?って言いたい肺ですね」だった。
肺炎も併発していた。
で、即入院ということになり、あっという間に車いすに乗せられ
集中治療室行きとなった。
その手際の良さにびっくりした。
妻は毎日、面会時間にきっちりやってきた。
病院から私のホームドクターにも連絡がいき、
彼も驚いて妻に電話があったという。
「今度はダメかも知れないと思った」と漏らしたそうである。
が、なぜか私はその後、無事退院できたのである!
冬眠のはずが永眠することになりかねなかったのだ。
まあ、とにかく、なんとか生還できたのである。
退院の日、院内のカフェで妻と二人でくつろいだ。
大きな窓から見える冬枯れの林が光を浴びて輝いていた。
それを眺めていたら、生きてることの実感がわいてきた。
妻と二人こうしてくつろいだ気分になれることが、すごく幸せに思えた。
そして、気丈に頑張ってくれた妻に感謝です。
家に帰り居間にすわり庭を眺めているとメジロがやってきた。
ここ数年途絶えていたメジロの訪問にうれしさがこみ上げてくる。
最近、やっと体調が元に戻ったような気がする。
年のせいか、回復には入院期間の倍の期間が必要だったのだ。
春が来るのが待ち遠しい日々である。