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太陽はひとりぼっち! [心の風景]
心がほっこりしているようなとき、
自分でも思いもよらない要求に動かされて
実行してしまうようなことがあります。
心が解放されると、なにかそれまでと違う世界が脳裏を占める事があります。
私はそのような状況の中で、あるとき突然、ある映画がすごく見たくなりました。
自分でもびっくりです。
その映画が「太陽はひとりぼっち」でした。
映画館では、見ることが出来ないのでDVDを買いました。
原題は、失墜という意味ですが
日本では「太陽はひとりぽっち」という粋なタイトルに変更されています。
この時期「太陽がいっぱい」だとか「太陽のかけら」だとか
とにかく「太陽」が日本ではもてはやされていましたね。
しかし、映画は、まだ白黒映画の時代です。
余談ですが
青春時代、授業をサボってイタリア映画「刑事」を見るために映画館に行きました。
主題歌の「死ぬほど愛して」も不朽の音楽だと思います。
クラウディア・カルディナーレが、逮捕されて車で連れて行かれる恋人の後を
彼の名を叫びながら、走って追いかけるラストシーンがすごく印象的でした
少し遅れて「太陽はひとりぽっち」が日本で上演されたのは、私の青春時代
でも、私は予告編とテーマ音楽しか知らずにきました。
アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティが、工事中の建物の角で語り合う風景が
脳裏に焼き付いていました。
当時、モニカ・ヴィッティのなんともアンニュイな雰囲気に魅了されていました。
また、主題歌と音楽が大好きで、最高傑作だと自分では思っています。
ミーナの歌声が心に響きます。
(クリックすると曲が聴けます)
しかし、時の流れは何人でも止められません。
主演のアラン・ドロンは、88歳でほぼ臨終の状態
モニカ・ヴィッティは、悲しいかな2022年2月2日、90歳で他界しています。
一つの大きな時代が回ってしまった感がします。
私もこの流れにひかれて行きそうです。
浄土真宗の御文章 「白骨の章」ではないが
「されば、朝に紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」です。
最後まで、おつきあいいただき、ありがとうございます。
故郷は今・・・・・ [故郷]
正月も私は、難病で医者通い、故郷には帰れませんでした。
従って、コロナ以来ずーっとご無沙汰しています。
今日、実家で法事があり、息子が参加しました。
で、実家でもコロナ以来初めての法事で、小学校以来の同級生も参加していたという。
息子に彼が私を「無理矢理でも連れてこいや、同窓会したいんだ。」とせがんだという。
「そんな横着なこというのは誰だ。」と私が言うと
「名前は聞いていないので誰かはわからない」と息子。
でも考えてみれば、私の同級生で今もそんな口聞いているのは一人しかいない。
学校時代の彼は、細身の色白の優しい友達だった。
でも、家庭の度重なる不幸に合い、辛苦の苦労を強いられ、
一時は極道の道にも入り、がらりと人が変わってしまったようだ。
それでも、わたしにたいしては、変わらぬ優しさでつきあってくれている。
私にとっては、本当によい同級生なのだ。
私に暮らした隣町は、滝廉太郎の「荒城の月」で有名な町だ。
今でもJRの竹田駅では、列車が発着するたびに、ホームに荒城の月の曲が流れる。
滝廉太郎がここで暮らした折、よく訪れたという岡城跡が曲の着想になったといわれている。
しかし、荒城の月の詩は、土井晩翠が、青葉城をモチーフに作詞したといわれています。
その岡城跡のすぐ麓に私の通った高校があります。
私も岡城跡に高校時代親しんだ一人です。
何気なく口ずさむこの歌は、本当はすごい歌なのです。
哀調をおびたメロディと歌詞が特徴で
七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲です。
特に、日本で作曲された初めての西洋音楽の歌曲とされ、日本の歴史上重要な曲です。
さらに、ベルギーでは、この「荒城の月」が賛美歌に選ばれたという国際的な曲です。
私は、この曲の3番の歌詞が一番好きです。
「今 荒城の 夜半の月
かわらぬ光 誰がためぞ
垣に残るは ただかづら
松にうたうは ただ嵐」
(紅葉の岡城跡)
今、故郷では私の通った小学校も中学校も跡形もなく消えてしまいました。
子供時代の懐かしい思い出は、心の中と同級生だけです。
京都の友達は、京都で生まれ、そのまま今も生家で暮らしています。
近くに沢山の竹馬の友がいて、今も交流が続いている姿を見ると
うらやましくさえ感じます。
そんなときには、余計に故郷が恋しく思われるのです。
歳のせいでもあるかもしれないが、昨今、望郷も思いが膨らんできます。
(大手門付近から眼下の大野川を望む)
岡城跡は、私の青春の眠るところです。
最後まで、読んでくださり、ありがとうございます!
限界集落で除夜の鐘が人の輪を広げ強めた! [世情]
元旦の朝、新聞の読者欄で心温まる記事を見つけた。
『8人の集落で除夜の鐘つき』
筆者は、富山県南砺市の黒梅明さん75歳
曰く
「山の中、限界集落の古民家で一人住まいをしています。
かって40軒くらいあった集落も今は4軒です。
自然豊かで、棚田に谷水をひき無農薬無施肥の自然米が作られています。
村には、廃寺になった歴史ある寺があります。
残っている鐘楼は立派なものです。
私が撞木を新しく付け替え、一昨年の大みそかに除夜の鐘をつきました。
川下の集落の方にも呼びかけ、みんなの健康と地域の発展を願い、交代で
百八つきました。
8人の集落に30人もの人が集まり、かたわらの小屋で暖を取り、
するめを焼き、年越そばを食べ、お神酒もいただきワイワイ楽しくやりました。
気持ちのいい新年でした。みんな喜び、ずっと村の行事として取り組むことになりました。・・・」
読んでる私も気持ちのいい新年になりました。
除夜の鐘がうるさいと近所から苦情がでて、取りやめる寺も出ているという悲しい現実が
あるなかで、自分たちの手で除夜の鐘を契機に人の輪も広がってるこの村に拍手を送りたい。
ところがこの記事を読んだ日の夕方、能登半島を中心にした大地震が発生!
限界集落のの人たちは、どうしてるだろうかと心を痛めることになった。
きっと、みんなで助け合って、この災難を乗り越えて行くだろうと思う。
私の散歩道である哲学の道でも午後4時になると法然院の梵鐘が聞こえてくる。
思いにふけり、時間を忘れていたときでも、梵鐘が我に返してくれる。
穏やかな鐘の音は、風情を醸し出してくれます。
私には、うるさいなどとは、全く思いもつかぬ事です。
むしろ、散歩の楽しみでもあります。
その散歩道に今も尚マユミが赤い実を付けて迎えてくれます。
冬枯れの桜の木の哲学の道の入り口
春ならば、桜が咲き乱れ、人混みで賑わうのですが・・・・・
柿が愛の名残を伝えてくれます。
見上げれば、冬枯れの巨木が季節を実感させてくれます。
フト足下に目が行くと野草の花が妙に生き生きとして鮮やかに感じられます。
なぜか少し救われたような気分になりました。
南天の赤い葉が日に照らされて、印象的でした。
でも、この道で今一番は、なんといっても山茶花です。
赤い山茶花もいいにですが、私は白い山茶花が好きです。
立ち止まって、眺めていると、心が洗われる思いがします。
山茶花の並木道は、お気に入りの場所です。
この道を散歩するようになって、山茶花の花が大好きになりました!
散歩が日課になりました。
二人で散歩楽しんでいます。
みなさんは、いかがお過ごしですか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
苦難の年明けに心が痛む! [世情]
(妻の手作りアップリケ 「お正月」)
明けましておめでとうございます!
新しき 年の始めに かくしこそ
千歳(ちとせ)をかねて 楽しきを積め
古今和歌集
新年のご挨拶も終わらぬうちに、能登半島の地震が伝わってきた。
テレビは、一斉に地震速報で賑やかになり、津波警報も出されて、
アナウンサーは、「逃げてください!」と叫んでいた。
原発は大丈夫かと心配になる。
今年二日目の夜明けと共に、被害の状況は明らかになると思うが
当地の人々は、大変な新年を迎えたことになりますね。
めげずに切り抜けてくださることを願っています。
さて、私たちはといえば
長生きよりも残りの人生を心と体で歩き続け、
楽しく大らかに生きることだと悟りました。
だんだん出来ることが少なくなる晩年に
生きる喜びを探して生を謳歌したいものです。
お正月の思い出の写真4枚ピックアップしてみました。
カフェ&ギャラリーをしていた頃の庭のもみの木。
藤沢周平記念館を訪ねた旅のホテルから眺めた夕陽
くじゅう高原 雪の朝日台
竹富島の海岸
寒さに弱い私は、冬は竹富島で過ごせたらと毎年思いますが・・・・
この写真は、私が肺がんの手術を1月に受け、退院後すぐに1週間、妻と石垣島に旅した時に
訪れた写真です。
ことさらに思い出深いものがあります。
死の淵から生き帰った思いでした。
今年は、さらに生きてる喜びを実感できる生活が出来たらと願っています。
みなさんにとって、よい年になりますように!
今年もよろしくお願いします。
不治の病を抱いて生きるーカミングアウト [心の風景]
本格的な冬の訪れで、寒さがつのりますが、
雪国の方々、特に高齢者の方々の苦労を思うと心が痛みます。
今年も押し迫った12月20日に私は、
「肺動脈性肺高血圧症」(PAH)という心臓の病の宣言を受けました。
この病気は、厚生労働省の「難病」に指定されている病気で
発病の原因が不明で、完治の方法もまだ研究中です。
2020年現在、この病気の患者は全国で4230人だそうです。
三年生存率95.7%、逆に15年で94%の死亡率だそうです。
私はこれまで、肺がんの手術を受け、肺炎で苦労し、
重度の慢性閉塞性肺疾患(COPD)を煩っています。
この病気で2度緊急入院をして、命拾いをしました。
妻には大変苦労をかけています。
現在在宅酸素療法を受けています。
それでも、うつむく作業は出来ません。
床のものを拾うことさえ、難しい状態です。
でも、歩くこと自体が非常に困難を伴いますが、
頑張って散歩を続けています。
散歩には、何時も妻が付き添ってくれるので感謝しています。
この病気もよくなることのない不治の病です。
あれこれ思い悩むんではなく、残された命を大切に
生きてる喜びを感じながら、楽しく暮らしたいと思っています。
出来ることがだんだん少なくなっていく中で
今できることを生かして、明るく生き抜きたい。
しかし、風邪を引くこと自体、命の危機に陥るので
用心を重ねて、この冬を乗り切りたいと思います。
今回は、私たち夫婦が勝手に名付けた「木漏れ日の小径」を散歩しました。
今年は気候が変で、大好きなナンキンハゼの紅葉が見れませんでした。
見るも無惨な姿で立っていました。
昨年は、写真のようにきれいに紅葉をしていました。
秋の終わりは、ドウダンツツジの紅葉が一際目立ちます。
このツツジの赤い葉の色が、私はすごく気に入っています。
モミジも黄色の姿も捨てたもんではありません。
緑の中で光っていました。
木漏れ日を浴びた紅葉がひときは存在感を強調していました。
民家の入り口と電柱で紅葉している葉の広い植物が印象的です。
植物の名前は、わかりません。
白壁に影を落としてそびえる紅葉は、見応えがあります。
小径の片隅に、妻が一人遊び!
うまく出来たと喜んで、私に見せてくれました。
無邪気な妻が愛おしく思います。
空は青空、赤い実を付けた枝が風に揺れています。
人通りの少ないこの小径は、歩行者専用の道です。
ですから、自転車も乗って通ることは出来ません。
静かで、のんびりと散歩できます。
哲学の道とは、近くにありながら、大きく雰囲気の異なる散歩道です。
観光客は、ほとんどここには、きません。
まさに、地元の住民の専用散歩道と言えますね。
近くにこのような散歩道もあることに、感謝しています。
散歩していると、だんだんお知り合いも増えて、親しくお話も出来
気持ちも晴れ渡ります。
何よりも、いろんな人との爽やかな交流が、生きてる喜びを感じさせてくれます。
爽やかな交流は、まさに人生の分かち合いのように思えてなりません。
最後まで、読んでいただきありがとうございます!
灯滅せんとして光を増す! [風景]
いよいよ今年も押し迫りましたね。
暖かだった日も、急激に寒い日々の一変です。
来年のNHK大河ドラマは、源氏物語の作者、紫式部が主人公の
「光る君へ」だそうですね。
どんな内容になるのか、少し楽しみにしています。
秋の歌で源氏物語の中で、かの六条御息所が源氏に対して歌った歌
「おほかたの 秋の別れの 悲しきに 鳴く音(ね)な添へそ 野辺の松虫」
実にうまい情のある和歌だと思います。
でも、本当の作者は、紫式部(笑)
ここで我田引水ながら、娘が描いた漫画の源氏物語も、
英語版のほかにフランス語版、スペイン語版が発行されました。
日本語版は、ほかに沢山あるので出ていません(笑)
英語版のアマゾンページは
「灯滅せんとして光を増す」ではありませんが最後の紅葉は、実に美しくて燃え立つようです。
でも、夜半の嵐で跡形もなく、散り去りて、残るは、冬枯れの寂しい枝のみとなった。
哲学の道の紅葉も今年の見納めとなりました。
さよなら、今年の燃え立つ紅葉たち!
また、来年、生きてこの紅葉を眺めることが出来たらと願うばかりです。
しばらくは、寒い日々に耐えて、春を待つしかありませんね。
みなさんは、この秋をいかがお過ごしでしたか?
逝く秋の姿しばし留めん [風景]
老けゆけば、日は短かに、歳早く去りゆきて、みな夢のごとし
散歩道もすっかり晩秋の趣になりました。
昔、藤原頼実は、この時期を
”なべて世の 惜しさにそへて 惜しむかな 秋より後の 秋の限りを”
と歌っていますが、なんとなくそんな気分になる今日この頃。
枯れ葉散る道に、あでやかに咲く山茶花の花が、目にまぶしく感じられます。
散歩道の中に、2~3メートルほどの山茶花の木に、あふれるように咲き誇る花
赤い花、ピンクの花、よりも白い花が、私は好きだ。
立ち止まり、眺めていると汚れた心がきれいに浄化される思いになる。
木の根元には、敷き詰めたように花びらが散っている。
眺めていると子供の頃よく歌った童謡「たき火」の歌が
自然と脳裏をよぎっていく。
”さざんかさざんか 咲いた道
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
しもやけ おててが もうかゆい”
子供の頃、親にいわれて、庭の落ち葉の掃除をしました。
庭には山茶花の木があり、枯れ枝や落ち葉を掃き集めてたき火をしました。
なぜかそのころは、たき火が大好きで、喜んで庭掃除に励んだものでした。
老いてくると、昔の子供の頃のことが、すごくリアルによみがえってきます。
秋は、子供心にもしんみりとした気分になりました。
いま、その秋が目の前で、過ぎて行こうとしています。
やっぱり写真に留めたいと思いました。
ヨーロッパでは、蝶が大発生して群れていると言うけど
日本では、カメムシが大発生し、我が家にもやってきて、ひどい目に合いました。
蝶ならまだいいけど、カメムシは絶対ダメ!です。
これも気候変動の影響でしょうか?
12月に入っても、私たちの町では、気温が18度など、暖かい日が続いています。
暖かいのは、大歓迎ですが、いいことばかりでもなさそうで、戸惑う今日この頃です。
みなさんは、いかがお過ごしですか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
老後のユートピアは何処へ行った? [人生の峠]
最近、自分の老後のユートピアと現実はだいぶずれてきたような気がします。
老後は、山里の一軒家、雑木林に囲まれ、すぐそばに小川が流れ、川向こうに集落
日当たりの良い南向きの土地に大きな庭とそれにつずく畑
テラスのある平屋の木造住宅、妻と甲斐犬と猫一匹。
春はつくしを狩り、山桜を愛でて、庭には花々が咲きにおう。
夏は林の新緑を楽しみ、妻と愛犬とで畑仕事
お昼は、木陰でボンボンベット、愛犬を横に昼寝を楽しむ
秋には、紅葉の川原でバーベキュー
冬は、薪ストーブで暖かいへやで音楽を聴きながら雪景色を楽しむ。
のんびりと晴耕雨読の生活を送りたいと思っていた。
ところが、私のブログの「死の迎え方」のページに
しゅんさんのコメントが書き込まれた。
『「ヒューマニエンス」見ましたよ。
病気になってから畑作の生活が多くなり、人との会話が少なくなりました。
13年目を迎えます。
しゃべる相手は烏骨鶏と亀です。あと山の生き物たちです。
住職より曹洞宗のお経を進められ。日々読経をしています。
生死のことよくわかってきたような気がします。自然とでる言葉はお経そのものになりました。
秋の移ろいの写真・・・いいですね とっても ありがとうございます。また来ますね。
by しゅん (2023-12-02 06:28) 』
まるで私の老後ユートピアを生きてるような方のようで、すごく感動しました。
私は今、不治の難病を抱えて医者通い。
山里の生活にあこがれながら、町住まいです。
紅葉を求めて、真如堂に出かけました。
ここには、向井去来の石碑
「涼しさの 野山に満つる 念仏かな」があります。
道々南天の美しさに目を奪われました。
真如堂の門、多くの観光客でにぎわっていました。
紅葉の庭に振り袖姿は、すごくいい雰囲気です。
もみじの紅葉と銀杏の黄色が美しさを引き立たせています。
三重の塔
本堂
休憩所
境内の坂道
海外からの観光客も沢山来ていた。
国際色豊かな会話が飛び交っていた。
帰り道、皇帝ダリアの勇姿を見つけた。
自分ながら感動的な一枚だと思っています。
でも、やっぱり山里の紅葉を眺めたい。
静かな山里で、過ごしてみたいのです。
皆さんは、どう思いますか?
いよいよ師走
なにか心忙しい時期になりましたね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
死の迎え方 [生と死]
急に冬がやってきた気分です。
地球温暖化の「成果」で気候変動も過激になってきているようですね。
NHKの「ヒューマニエンス」は、多くの方が見ていると思いますが、私も毎回見てきました。
その中で今週放映された番組は、私にとって非常に興味深いものでした。
タイトルが「”死の迎え方”ヒトの穏やかな死とは」です。
ヒトが老衰で死を迎えるということは、幹細胞の老化が原因だと言う。
幹細胞が老化することで、ヒトの臓器の機能が低下し、
新陳代謝、免疫も低下して、ついに老衰での死にいたるという説明は納得できた。
いくら治療を加えてもBMIが12を割り込んでいったらもう死に一直線だという見解は
すごく印象的だった。
また、呼吸が落ちて、血中酸素濃度がどんどん減少するに従って
エンドルフィンが増加し、苦しみや痛みを和らげてくれるという。
死にゆくヒトを見ている人と死にゆく人との間には、違った感覚があるようです。
かって、私の祖母が死の床にあるとき、肉親が祖母の名を呼び泣き崩れたが
顔から血の気が失せて冷たくなりかけていた祖母が突然「生き帰り」
「峠を越えていい気分になっているのに、呼び返すな!」とつぶやいて事切れた。
それは、私も祖母の枕元にいて、子供心に衝撃的な事件でした。
今考えれば、きっと老衰でエンドルフィンが一杯だったのかもしれないと思います。
死は、どんな人間でも例外なく訪れます。
どのような死を迎えるかは、どう生きるかという問いと同じように思えます。
どう死を迎えるかは、どう生きるかと同じように各自に問われている課題だと思いました。
秋を探して植物園に出かけてきました。
食欲の秋では無いが、パパオアの実を見ると食べたくなる。
火のようなカエンキセワタ
背丈が2m以上あるニトベギク
同じ菊でも、こちらは「阿房宮」
これも同じく菊で延命楽 「もってのほか」という面白い名前
トウゴマ
蝶とラッキョウ
ナンゴクイヌホウズキ(ガーデンハックルベリー)
休憩所
雑木林は、秋が一番いい。
静かな林の小道を歩いていると、秋が心に話しかけてくるようないい気分になります。
紅葉したフウの木
自然の中にいると時の流れを忘れてしまいそうです。
そして、生きていることの喜びを感じます。
幸せなひとときです。
帰り道、夕陽に照らされた木々が見送ってくれました。
春でもなければ、朝でもないが、ブラウニングの詩の最後の2行が脳裏に浮かびます。
「神は天にいまし、全て世は事もなし」
本当は、日本も世界も事だらけで、ひどいことになっているのが現状なのですが・・・・
夕暮れ時の一番の癒やしは・・・ [心の風景]
秋は駆け足で通りz過ぎ、突然のように冬がやってきたようで、寒い!
インフルエンザ菌が喜んでいるだけだ!
寒いときに寒い話だけど
先日、知人が郵便局のATMで、初めて支払いの手続きをしていたら
後ろの高齢者から「いつまでやってんだ!はやくしろ!」と怒鳴られたという。
知人は、すごく傷ついて、嫌な思いだけが何時までも残ってしまったという。
確かに待ってるのは、短時間でも待つ身の人には、長く感じられると思うけど
急いでいるのなら、もたついてる人に手助けをしてあげたら、じっと待っているより
気分も晴れるし、相手からも喜ばれるし、お礼を言われれば、気分もいい。
なぜ、その方向に考えないで、怒鳴り罵倒する方法をとるのだろうか?
人間関係に木枯らしが吹き込んでいるようで悲しくなります。
社会的立場の弱い人は、小さなことでも、ふかく傷つくことがあります。
逆に小さなことでも、親切な人に会うと、
すごく世の中が素晴らしく思えることもあります。
社会的に一番弱い人が、住みやすい社会になると、
すべての人が住みやすい社会だと言えると思います。
そんな社会になったらうれしいなあと思いながら散歩してます。
つい先日まで実りの秋を謳歌していた吊り花が
今日は、はや最後の一粒をかろうじて、残して秋に別れを告げているようでした。
民家の一隅になんとナデシコが元気に花を咲かせていて、びっくり。
古い民家の庭の木が紅葉真っ盛り。
南天が夕陽に照らされて、いい雰囲気
垣根の草も夕陽に紅葉していました。
桜の紅葉がこちらも夕陽に映えていました。
見事なピラカンサ
黄色く色づいたエノキの大木
夕陽が沈み初めても観光のみなさんの姿は、消えません。
確かに、夕陽のさす時間帯の散歩も情緒があります。
ハンドクラフトのお店も灯りがともり、見ていて、なにか癒やされた気分になります。
冷たい風の吹く夕暮れの道にたたずむと、店内がすごく暖かに感じてきます。
住宅街にぽつんとあるお店なので、なおさらなのかもしれませんが・・・
我が家が恋しくなり、足運びも少し早くなりました。
こんな時の我が家の灯りは、最高の癒やしです。
みなさんは、いかがですか?
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!