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バラに酔う!-3 [ぶらり生活]
文字通り火焔のようなバラ
(焔の波)
空をバックにしたバラも気分爽快になります。
(ロブロイ)
(ゴールド バニー)
(絵日傘)
この絵日傘が私の一番のお気に入りです。
(ジュビレ デュ プリンセス ドユ モナコ)
なんだか舌をかみそうな花の名前だ!
(ウルマー ミュンスター)
(アホイ)
バラ園を堪能した後はクスノキの並木を散策
蔓がまかりついて上まで伸びている高木を見上げると夏の青空が目に染みる。
森のカフェで一休み。
カフェの前に広がる芝の広場で、仲の良い姉弟が父親のサックを二人で背負って
実に楽しそうに走り回っていた。
なんともほほえましい風景である。
心が晴れ晴れとしたところで、植物園を後にした!
これで、このシリーズは終了です。
バラに酔う-2 [ぶらり生活]
すごくきれいなんだけど、名前が多少はばかるような名前で・・・・・
フランス産だというけど、フランス人は、この名前をどんな風に感じるのだろうか?
(チンチン)
(プリンセス オブ ウェールズ)
(ゴールド マリー ’84)
この花の説明は下記参照
(フレンチ パヒューム)
(オクラホマ)
(聖火)
(つるサラバンドウ)
(ケアフリーワンダー)
バラ園を歩いていたら、なんとバラの木の間にシートを敷いて寝てる人がいる。
サングラスをかけた男性外人!
なんでこんな所で寝るんだとちょっと不愉快!
昼寝するんだったら、近くに芝生があるし、そこでやって欲しいものである。
バラを楽しんでるときに、突然寝転がった人間がいるなんて、げんなりである。
(ルーピング)
(アンティツシモ)
次回につづく
バラに酔う!-1 [ぶらり生活]
寒い日が2~3日続いて、今日は暖かな好天に恵まれた。
季節のバラの季節になった。
さっそく、植物園のバラ園を訪ねてみた。
日本はバラの自生地として世界的に知られており、
品種改良に使用された原種のうち、
3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産である。
3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産である。
古代、バラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも
「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」
という歌がある。
バラが人類の歴史に登場するのは古代バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』である。
古代ギリシア・ローマでは、バラは愛の女神アプロディテやウェヌス(ヴィーナス)と関係づけられた。
また香りが愛好され、香油も作られた。
クレオパトラはバラを愛好したという。
とにかくバラの歴史は長く、品種改良されて、実に多種になっている。
人間の飽くなき欲求のたまものでもある。
バラ園への道でまず出会うのは、ここ、きれいな花壇が迎えてくれる。
さっそくバラ園へ
バラが花盛りである。
(マリーローズ)
(モンタナ)
(栄光)
(つるサマースノー)
(シンパシー)
菩提樹の下でちょっと一休み!
すごい巨木である。
このバラの名前がふるってる!
(ヘンリーフォンダ)
(コンチェルチィーノ)
今日はここまでです。あと2回シリーズで掲載予定です。
バラ園は、京都府立植物園です。
雨の日は美術館 [ぶらり生活]
GWの半ば、今日は雨!
雨の日は美術館がいい!
「ルドルフ2世の驚異の世界展」を見に佐川美術館に出かけた。
佐川美術館は、琵琶湖大橋の東岸から近い美術館通りにある。
回りを水で囲んだ中に建物がある。
まるで水の中の美術館だ。
ラウンジに、奇妙な造形の作品がデンと中央に鎮座していた。
フリップ・ハースの「コロッサス:巨像」の模型だと書いてある。
人の顔らしきものなのだが、口から水が流れ出て
鼻や目は、建物
頭は山野でここにも建物が・・・・・
なんともヘンチョコな作品である。
これを見た友人は、この建物の入り口はどこだろうと探していた。
が、それらしきものは、ない!
まあ、今日はこれが本題ではないので深く考えないことにする。
本命はルドルフ2世である。
彼は、神聖ローマ帝国皇帝なのだ。
そして、文化・科学の擁護者でもあっという。
ヨーロッパで大航海時代が始まった頃の人で
新しいもの・未知のものは、何でも取り入れていった時代でもあると思う。
見応えのある展示会であった。
観賞の後は、美術館のカフェで雨の庭を眺めながら談笑!
カフェ
ガラス張りの通路
楽しい一日だった。
ラコリーナ近江八幡に行く [ぶらり生活]
友人に誘われて「たねや」の本社のあるラコリーナ近江八幡へ出かけた。
なんでも友人のいうには、ここのバームクーヘンは、すごく美味しいとのことである。
ラコリーナ(La Collina)とは、イタリア語で「丘」という意味らしい。
とにかく広い数百台もありそうな駐車場には、ほぼ8割方詰まっていて驚いた!
バックナンバーを見る限り近畿圏はすべて、関東地方からの車も多いのだ!
大人気のお店らしい。
お店の屋根は、すべて草屋根なのだ!
今は、まだ緑が少ないがもう少ししたら下の写真のようになるという。
(ホームページより借用)
店内に入ると再びびっくり!
どの売り場も長蛇の列
見ただけで疲れたので2階のカフェでお茶にしようとしたのだが、ここも一階まで順番待ちの列!
でも、約30分ほどで座れた。
店内の照明がしゃれている。
一休みの後は、買い物は、あきらめて庭に出た。
ここでまた驚かされた。
広い敷地の真ん中に広い池があるのだ。
向こうに見えるのが、「たねや」の本社建物だという。
回廊の屋根の頂上には、木が植えてある。
店舗の建物にも・・・・・・
回廊の天井もしゃれている。
話によるとさっき私が池だと思ったのは、池ではなく田んぼだという。
これから田植えが行われることになっている。
社員や協力者で田植えをするというのだから、なんともうれしい思いがする。
また、「たねや」は、企業内保育園「おにぎり保育園」まで運営していると言うから
ますます、この企業が好きになる。
赤い子供が、不思議そうに見入っていた。
子供にしてみれば「なんでやねん!」だろう。
二階建てバスの中も店舗なのだ。
なかなか考えられた面白い企業だと思った。
企業主のポリシーが伝わってくるお店でした!
なんかすがすがしい気分で帰ることが出来た。
懐かしき場所 [ぶらり生活]
カフェ時代のお友達から、元カフェkazeの桜が満開だよと電話をいただいた。
で、4月13日にやっと出かけてみることが出来た。
かって私達がウエルカムロードと名付けていた入り口の桜並木が
まだ、花をつけて迎えてくれた。
盛りは過ぎていたが、懐かしさには変わりは無いのだ!
車を止めて、カフェをしてた頃を回想してみる。
今は、人の手に渡ってしまったが、
桜は、元気だよと語りかけてくるのだ。
回りの山々には、山桜が咲き、
僕らも変わってないよと話しかけてくるようだ。
ただ、裏の川の流れが減ってしまったような気がする。
川向かいの別荘は少し化粧直しをしていた。
上野さん宅の庭の木々も元気に花を咲かせている。
主なしとて春をわするな!何て言わなくても
しっかり春を満悦しているようだ。
別れを惜しみながら、別荘に向かう。
別荘地は、人影もなく静まりかえって
春の日差しの中で、まどろんでいた。
で、私もコーヒーを入れ、読書にふけった。
してることは同じでも、我が家とは違ってくつろいだ気分になる。
何しろ風の音以外何も聞こえないのだ。
夕方、帰り道のてんくう温泉により、露天風呂につかり
空を眺めていたら、西の空では、夕焼けが始まった。
なんか変わった雲が面白い!
ほっこり気分で夜の道を走り、日常に帰った!
哲学の道 [ぶらり生活]
今年は桜の開花が例年になく早く、散るのも早かった!!!
さらに人でも例年になく多かったように思う。
きっと海外からの旅行者が増えた為だろうと推測する。
歩いていると、世界のいろんな言語が聞こえてきた。
この哲学の道はもともと、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が完成した際に、
管理用道路として設置された道である。
当初、芝生が植えられている程度の道であったが、ここを歩いて通行する人々が増えていった。
明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。
その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、
思案を巡らしたことから「哲学の小径」といわれたり、
「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。
1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、
相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。
1972年(昭和47年)になって、砂利道の散策路として整備され、
さらにその後、1987年(昭和53年)に廃止された市電の軌道敷石を転用して、
歩行者が歩きやすいように敷石を並べたものとなって現在に至っている。
若王子橋から銀閣寺橋までの約1.5 km区間が、
1987年(昭和62年)8月10日の道の日に、
旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」の1つに選定されている。
哲学の道の桜は、近くに居を構えた日本画家・橋本関雪と妻・よねが、
1921年(大正10年)に京都市に300本の桜の苗木を寄贈したのに始まる。
寄贈の経緯は画家として大成した関雪が、
京都に対する報恩を考えた際によね夫人が桜を植えてはどうかと発案をした事による。
当初の木はほぼ樹齢が尽きたと思われるが、
佐野藤右衛門らの手により植え替えられ手入れされ現在に至っている。
代替わりをした今でも桜並木の名称として「関雪桜(かんせつざくら)」と呼ばれている。
大きな鯉がゆったりと泳いでいた。
和服姿の女性もちらほら
いつもは、のんびりと疎水で釣りを楽しんでいるぬいぐるみ君だが
今日は、ショウウインドウの中に収まっていた。
観光客にびっくりしたのだろうか(笑)
白沙村荘 橋本関雪記念館の門のしだれ桜が目にまぶしい。
最後に付け足しだけど、我が家のボケの花満開になった。
花の季節の到来だ!!!!
春は来にけり [ぶらり生活]
気温が20度という暖かな日である。
表の道路では、親子がバトミントンを楽しんでいる。
のどかな風景である。
私もなぜか久し振りにのんびりした気分になった。
表の道路では、親子がバトミントンを楽しんでいる。
のどかな風景である。
私もなぜか久し振りにのんびりした気分になった。
今朝は春眠暁を覚えずで、朝寝坊していたら
窓ガラスをたたく音で目が覚めた。
二階の窓を人がたたけるはずはないと不思議に思って
カーテンを開けると、なんとすずめ達である。
なんだか、「いつまで寝てるんだ」と言わんばかりに騒ぎ立てる。
それがおかしくて、思わず笑えてきた。
今日は楽しいことがありそうな気がしてきた。
ところで先日友達を誘って、植物園に出かけた。
まだ、入園者も少なくて、落ち着いた雰囲気である。
午後の散策には、最高の場所である。
大きな樅の木の下では、読書にふける人もいる。
見上げると大きな実が沢山ついていた。
早咲きの桜を銅像までが眺めていた。(笑)
冬の間、見るからに寒そうだった噴水も今日はすがすがしく感じる。
(ゲンカイツツジ)
桜かと思ったら杏だった。
(カンピザクラ)
(シュウゼンジカンザクラ)
歩き疲れて、柳の木の下のテーブルで菓子を食べながら歓談
花より団子のたとえがあるが、僕らは「花より歓談」
新緑の柳を見ると思い出すのは啄木の歌
「やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」
妻はこの歌をこれまで、なかなか覚えてくれないのであるが、
今日は覚えてくれた!
すごく絵画的で望郷の歌としては、完成度の高いものがある。
私の好きな詩の一つだ。
帰り道、京都府立大学の卒業式があったようで
和服姿の女学生の集団にいくつかあった。
卒業の季節でもあるのだと改めて思った。
まさに春は来にけりである。
新年のご挨拶 [ぶらり生活]
2018年1月吉日
新年のお慶びを申し上げます。
みなさまにとって幸運の年でありますよう願っています。
また、私のつたないブログに訪問くださり感謝です。
みなさまにとって幸運の年でありますよう願っています。
また、私のつたないブログに訪問くださり感謝です。
昨年は、なぜかブログの記事のあり方に行き詰まりを感じて
筆が進みませんでした。
何かが違うと、心のどこかでつぶやく声が聞こえてくるのです。
で今年はその何かがどのようなものか探し出したいと思っています。
そのようなことでブログの記事の内容も変わってしまうかも知れませんが
今年もよろしくお願いします。
新 新しき
年乃始乃 年の初めの
波都波流能 初春の
家布敷流由伎能 今日降る雪の
伊夜之家余其騰 いやしけ吉事(よごと)
万葉集巻20 大伴家持
タグ:新年
植物園にて-2 紅葉を眺めながら [ぶらり生活]
植物園の今年最後の紅葉を撮ってみた。
人影も少なくなり、のんびりと散策が出来た。
人影も少なくなり、のんびりと散策が出来た。
町では、もうクリスマスセールが始まっている。
三脚にカメラをつけて、担いでいる人に出会った。
「いいのが撮れましたか?」と聞くと
「いやいや、これは散歩の方便です。」という。
本当は、しっかり撮影しているに違いないと思う。
芝生の広場では、小さな子供ずれの人たちが、子供達と戯れていた。
子供の遊び場所としても、植物園は最適なのかも知れない。
歓声を上げて、走り回っている子供が目にまぶしく感じる。
自分も、その昔、あんな年頃の時代があったのだろうと思うけど
思い出すのは、箱車に妹を乗せて、
庭を行き来している姿しか浮かんでこない。
父母は忙しいので、それが私の仕事のような気分だった。
近所の人に妹思いのいい子だと褒められ、妹もうれしそうだったが
なぜか、私は孤独感につきまとわれていた。
家の近くに小高いクヌギ林があり、そこが私の居場所だった。
とりわけ、冬枯れのクヌギ林が好きだった。
で、よく一人でその林の中で過ごした。
とりわけ、夜の林がお気に入りだった。
落ち葉にくるまって、寝転がっていると、木枯らしの中でも暖かい。
夜空に散らばった星を掃除するかのように、クヌギの枝が北風に揺れる。
風の叫びと落ち葉のざわめき以外の何も聞こえない。
このまま死ねたらと幾度思ったことだろう。
私の子供時代は、うれしい思い出は浮かんでこないが
今、振り返ると懐かしさがこみ上げてくる。
孤独感と死の願望に取り憑かれながらも、私は生きてきた。
歌の文句ではないが「思えば遠くにきたもんだ」と実感する。
紅葉を眺めながら、
私の紅葉は、何だろうと、ふと思う。
(フウの木の巨木)
(フウの木の紅葉)
帰りのバスの窓から、赤く染まり始めた西の空が、町には夕暮れを運んでいた。
灯の目立ち始めた町並みを眺めていると、なにやら別世界から現実に帰ってきたような気分になった。
外灯のついた我が家の前に立つと、日常が迎えてくれた。