2017年8月16日(水)

昨年の今日は、夕方から、ものすごい大雨となった。
五山の送り火では、近くの大文字も雨にかすんで、大変だった。
今年は、晴れて恒例の五山の送り火が良く見えることだろう。
幸いに夕方には、夕焼けが見えて、大文字の準備も順調なようである。







午後8時ちょうどに着火が行われ、赤い炎が広がっていった。








ズームで観ると火床の近くに保存会の皆さんや矢ラリーの姿が見える。




五山の送り火も観光行事のような趣が強くなっているが
それも時の流れかも知れない。


私の生家は九州であるが、子供の頃のお盆を思い出す。
8月13日の午後には、家族全員で、墓地に行き、線香、花、水を供え
一族の墓の前で迎え火を焚く。
墓地は、共同墓地で、丘の上など高い場所にあり、そこからは集落が見渡せる。
近所の家族がみんな集まり、墓地は大変な賑わいとなる。
町に出ている家族も帰ってきて、近況を話し合ったりと交流が始まる。
まさに交流の場でもあった。


墓参りをして、家に帰ると家の前でも迎え火を焚く。
玄関や門には、盆提灯が火をともし、仏壇も提灯で明るく輝く。
お盆の期間は、毎日墓地に出かける。


そして、16日の夕方、家の前で送り火、そして、墓地でも送り火。
家々は、静かな夜を迎えるのである。


ヒグラシが、うるさいほど鳴き始める時期となる。


でも、今の故郷では、お墓が廃れ、納骨堂がそれに変わりつつある。
私は、それがなぜだか、少し寂しい気分になる。
懐古主義と云われれば、そうかもしれないが、
なぜか人のぬくもりが、薄れていくような気がしてならないのは、
私だけなんだろうか?