10月は、実りの秋、収穫の秋ですね。





稲田には、稲穂がたなびき、あるいは、すでに収穫されて

冬支度が進んでます。




その田んぼを眺めていると、ミレーの「落穂拾い」を思い出します。




(ネットからお借りしました)


今では、そんな風景は見れなくなっていると思うけど

当時、落穂拾いをしていた女性は、今、なにおして生計を立てているのでしょう。

みんな町に出て、賃金労働者として働いているのでしょう。

今の日本には、落ち穂を拾う人さえいません。


ミレーの時代では、農家は、意識的に落ち穂を残していたという。

貧しい人たちへの施しの精神です。


江戸時代、路傍のお地蔵さんにおにぎりをお供えするのも

飢えた人たちへの施しの精神!


私の生家は、寺院でしたが、私の子供時代、住み込みの小僧さんがいました。

寺の小僧さんは、我が家に限らず、身寄りの無い子供や貧しい家庭の子供です。

これも、一種の子供救済の一つでした。


寺社の賽銭も本来は、神仏を介して貧しい人が利用することだったけど

いつからか賽銭泥棒などを呼ばれるようになった。

賽銭は寺社の所有物ではなく、貧者への施しの精神だったのですが・・・・


今では、施しの心は、資本主義によって滅ぼされた感があります。

私は、施しが必要と言って居るわけではありません。

今の日本では、施しではなく、制度としての救済があります。

それは私達が文化的な生活を権利として勝ち取ったものです。

が、それが今、自・公政権のもとで、どんどん壊されています。

大切に守らなければなりませんね。



















写真を撮ってたら、ファインダーにわっと飛び込んでくるものがありびっくりした!!!




気持ちよく空を飛んでいた!














しかし、稲田には人影さえ見えません!!!!

静かな山里の秋です。