9月に入っても、暑さは相変わらずで、秋をまだ愛でる気になれない。
コロナもなかなか治まらず、今年も帰省をあきらめました。
そこで、故郷の便りを書きたい!
本当にあったお話です!
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幸せな子-お盆休みの故郷の寺で-
お盆休みの期間、故郷の寺は、賑やかである。
帰省した家族を連れて、親類の初盆でお寺参りが増えるのである。
今日も車六台で二十人ほどの一族がやってきた。
町から帰ってきた三組の若夫婦には、子供が七人、生後三ヶ月の赤ちゃんもいる。
三人のお婆さんが、孫の取り合いである。
久し振りに見る孫が可愛くてたまらないらしい。
孫達も両親よりお婆様に甘え放題である。
戸を開け放った広い本堂は、風が吹き抜けて、意外と涼しい。
子供達は、開放感を感じるのか寺の広い縁側を走り回って遊ぶのだ。
その様は、寺が急に幼稚園か、保育園になったような趣がある。
読経の間は、子供達を静かにさせるのもおばあさんの役目である。
読経が終わると、渡り廊下をぞろぞろと歩いて庫裏の大広間でテーブルを囲んでお茶会となる。
住職の話が終わると、一族も久し振りの再会で賑やかな会話が始まる。
お爺様達は耳が遠いのか大声で、おばあさま達は早口で話の内容に脈絡などない。
飛び交うのは人の名前と代名詞。
話が通じているのやら案じられる始末だ。
孫達よりもはしゃいでいる。
笑い声、子供達の遊び声、普段はうるさく思える蝉の鳴き声もかき消されて聞こえない。
大事なお勤めを果たしたという解放感と久し振りの一族の集まりに、ハイテンションである。
静かなのは、若夫婦だけである。
ようやく落ち着きを取り戻した頃、本家の爺様が「では、そろそろ」と声をかけると
一瞬静寂が訪れる。
が、帰り支度が始まると、また、大賑わいになる。
賑やかな話し声が山門を下り、バタンバタンと車のドアの音を響かせて帰っていく。
寺の境内は急に静かになり、蝉の鳴き声までがなんだか寂しそうに感じる。
坊守(住職の妻)がお盆を片手に広間のテーブルの食器をかたずけはじめた。
広間の隣が玄関で、玄関の間は仏間でもある。
人々が玄関に訪れると、部屋の中の正面に仏壇があり、
いやでも仏様と顔を合わすことにようになっている。
坊守は、その仏間を通って、台所へと食器を運ぶ。
いつも仏間を通るときは、つい仏壇に目が行く。
仏壇の前に大きなお供え物があるような気がして立ち止まり眺めた。
ところが、それはお供え物ではなくて、かごの中で静かに眠っている赤ちゃんだった。
まるで仏像に見守られているように思えた。
坊守は、お盆を置くとその赤ちゃんの寝顔をのぞきこみ、ほほえみを浮かべた。
そこへ住職が来て、「どうした?」と声をかける。
坊守は、振り返り人差し指を口に当てて、静かにという仕草をした。
「忘れ物」と小声で言った。
住職は、驚き慌てて電話連絡をと引き返そうとしたが
坊守が住職の袖を引っ張って止めた。
「大丈夫、この子は仏様に見守られて幸せな子だよ!」
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故郷を偲んで、近くの棚田を眺めに出かけました。
稲穂は、まだ少し青いけど、刈り入れを始めている稲田もありました。
稲田は、いなかの象徴的風景ですね。
見ていると本当に心が和みます。
のどかな棚田の風景は、特に郷愁を誘います。
高台は気持ちの良い青空の下にすがすがしさを感じます。
実りの秋、豊穣の秋です。
農業は芸術だと誰かがいったけど、本当にそんな気がします。
農家は、自然の芸術家ですね。
農家の皆さん、ありがとう!