長いこと新型コロナウイルスの流行で宣言下にあるのだけど

友人がしびれを切らして水彩スケッチ”里の風”展をギャラリー唐橋で開催したので

出かけることにした。

ギャラリー唐橋は、瀬田川の中の島にあり、有名な瀬田の唐橋を渡ってしか行けない。

久し振りに見る瀬田川は、豊かな水がまるで湖のようにおだやかに流れていた。

うっとりと湖岸にすわり、川の流れを眺めていると、心がすっきりしてきた。













ラウンドスピーカーから、「洗堰のゲートを下げるので急激に水位が上昇するので注意してください」と

アナウンスが流れてきた。

瀬田の洗堰は、ここからはずいぶん下流にある。

そのアナウンスのためか、釣り人が片付けを始めた。







ギャラリー唐橋の前にこんな看板が





瀬田の唐橋 

俵藤太秀郷むかで退治




豪傑の誉れ高き秀郷は、誰もが恐れていて近寄りもできなかった瀬田橋に横たわる

六十六メートルもの大蛇の背をやすやすと踏み越えた。

すると、大蛇は爺さんに姿を変えて秀郷の前に現れた。

何事かと話を聞けば、三上山に7回り半も巻き付いた大ムカデが夜な夜な

琵琶湖の魚を食いつくしてしまい、人々が大変困っているという話。

しかしあまりにも凶暴な大ムカデを恐れて誰も退治できずにいる。

そこで爺さんは大蛇に姿を変えて勇気のある豪傑を待っていたと言う。

秀郷は、こころよく大ムカデ退治を引き受けた。

秀郷の射た矢が見事に大ムカデの眉間を射貫き、大ムカデは消え失せた。

この秀郷の武勇をたたえて爺さんが招待したところが瀬田橋の下、竜宮であった。

琵琶湖に暮らす人々を守るべく一千年余昔から瀬田橋に住むという。

漁民の暮らしや、豊かな実りある近江国をこの竜宮から見守ってきたという。

秀郷は一生食べきれないほどの米俵を土産に竜宮を後にした。

そこから「俵藤太」の名が付けられたとされている。

       大津市 古都指定都市制定記念 大津東ロータリークラブ





とにかくギャラリーへ入る。







彼らしい「ご挨拶」文である。







私は、彼の水彩スケッチ画がことのほか好きです。

柔らかで明るい感じの風景画が気に入ってます。







彼は滋賀県一円をスケッチしているんですが、彼も私も好きなわら屋根の民家がどんどん

廃れなくなっているのが悔やまれてなりません。

いまでは、彼の水彩スケッチの世界でしか見れない風景がずいぶんを増えてきたように思います。

時代の流れとはいえ、昭和生まれの私達にとっては、捨てがたい風景です。


久し振りの再会に話もはずみ、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。


帰るときは、表まで見送りいただいた。

ありがとうです。


瀬田川の水域がどのくらい上がっているのかと、川面を覗いてみた。




確かに少し上昇していた。

帰りは、瀬田川を下り、洗堰をさらにくだり、天ヶ瀬ダムを経て、宇治経由で帰りました。

緑一杯のダム沿いの道が、心地良かった!