京に住み始めて半世紀以上になるが、これまで行ったことのない場所に出かけてみた。


場所は、五条坂より北側、鴨川より東側、東大路通りより西側、四条通りより南側の区域。

平安の昔、この地帯は,現世と他界の境目とされたところである。

この地域から東側は、「鳥辺野」と呼ばれて火葬場と墓地の地域で、

平安時代以来の墓所として、北の蓮台野、西の化野とともに京都の三大墳墓地をなしている。

そんな場所の一角に六波羅蜜寺があるのだ。




六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。

山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基(創建)は空也。西国三十三所第17番札所。


踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に

造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。


空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、

この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、

病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。


空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行った。

当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。


空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。


平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。

またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近である。


















これは平清盛公の塚だそうだ!






本堂











「迎鐘」という小さな楼があり、その奥に仏像が並んでいる。








境内には、絵馬じゃなく、願いを書いた小石が・・・・・・・・




かと思えば、分けもなく置かれた「なで牛」の像が・・・・・・・




なんかとりとめもない寺に思えて仕方がなかった。

歴史のある寺社に感じる荘厳さというものを私は、全く感じなかった。

由緒ある寺院なのに不思議である。

本堂が朱塗りだというのも、あまり見かけない寺院である。

で、さっさと帰ることにした。