(玄関・仏間の仏壇)


お盆前の故郷の寺は、賑やかである。

お盆休みで帰省した家族を連れて、昨年亡くなった親類の初盆でお寺参りが増えるのである。

今日も車六台で二十人ほどの一族がやってきた。

町から帰ってきた三組の若夫婦には、子供が七人、三ヶ月の赤ん坊もいる。

三人のお婆さんが、孫の取り合いである。

久し振りに見る孫が可愛くてたまらないらしい。

孫達も両親よりお婆様に甘え放題である。

戸を開け放った広い本堂は、風が吹き抜けて、意外と涼しい。

子供達も、開放感を感じるのか広い縁側を走り回って遊ぶのだ。

その様は、寺が急に幼稚園か、保育園になったような趣がある。

読経の間は、子供達を静かにさせるのもおばあさんの役目である。

読経が終わると、渡り廊下をぞろぞろと歩いて庫裏の大広間でお茶会となる。

住職の話が終わると、一族も久し振りの再会で賑やかな会話が始まる。

お爺様達は耳が遠いのか大声で、おばあさま達は早口で話の内容に脈絡などない。

飛び交うのは人の名前と代名詞。

話が通じているのやら案じられる始末だ。

孫達よりもはしゃいでいる。

笑い声、子供達の遊び声、普段はうるさく思える蝉の鳴き声もかき消されて聞こえない。

大事なお勤めを果たしたという開放感と久し振りの一族の集まりに、ハイテンションである。

静かなのは、若夫婦だけである。

ようやく落ち着きを取り戻した頃、本家の爺様が「では、そろそろ」と声をかけると

一瞬静寂が訪れる。

が、帰り支度が始まると、また、大賑わいになる。

賑やかな話し声が山門を下り、バタンバタンと車のドアの音を響かせて帰っていく。

寺の境内は急に静かになり、蝉の鳴き声までがなんだか寂しそうに感じる。

坊守(住職の妻)がお盆を片手に広間のテーブルの食器をかたずけはじめた。

広間の隣が玄関で、玄関の間は仏間でもある。

人々が玄関に訪れると、部屋の中の正面に仏壇があり、

いやでも仏様と顔を合わすことにようになっている。

坊守は、その仏間を通って、台所へと食器を運ぶ。

いつも仏間を通るときは、つい仏壇に目が行く。

仏壇の前に大きなお供え物があるような気がして立ち止まり眺めた。

それはお供え物ではなくて、ベビーキャリアの中で静かに眠っている赤ちゃんだった。

まるで仏像に見守られているように思えた。

坊守は、お盆を置くとその赤ちゃんの寝顔をのぞきこみ、ほほえみを浮かべた。

そこへ平服に着替えた住職が来て、「どうした?」と声をかける。

坊守は、振り返り人差し指を口に当てて、静かにという仕草をした。

「あの人達の忘れ物」と小声で言った。

住職は慌てて電話をすると引き返そうとしたが、坊守は住職の袖を引っ張って止めた。

「そのうち帰ってくるから心配しなくていい」と言うのだ。

住職は半信半疑な顔をして、本堂の片付けに行った。

坊守は、片付けがすむと、お茶を入れ、子供のそばでほっこり気分で呑んでいた。

「仏様に子守をしてもらって幸せな子だ」とつぶやいた。