娘が帰国して、3人家族の新年を迎えました。

久し振りに3人家族になると、なんか賑やかになったようで

気分も良い!

が、洗うべき食器がめちゃ多くなったような気がする。

食事の後、食器洗いは私の仕事なのですが、

家族は一人増えただけなのに、洗う食器は倍以上になったような

気がして仕方がない。

台所に洗い物がてんこ盛りになるのだ!

3人でこうなら、5人家族だったらどうなるの?と

フト余計な心配までしてしまう。

ところで話は元に戻りますが、初詣に3人で行こうということになった。

で、どこへ行きたいというので、今年は平安神宮がいいんじゃないというと

娘が「去年はどこに行ったの?」

「吉田神社に真如堂」

「どうして、今年は平安神宮なの?」

「特に理由が無いけど、同じ所よりちがうところが・・・・・」

「吉田神社に不義理するわけ?そんなんでいいの?」と娘が言うので

やはり不義理と言われると心が痛むので、

今年も吉田神社と真如堂に行くことにした。


まずは、真如堂




 真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は、京都市左京区にある天台宗の寺院。

通称・真如堂(しんにょどう)と呼ばれる。山号は鈴聲山(れいしょうざん)

 本尊は阿弥陀如来。

 永観2年(984年)、比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって、延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を

神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如堂縁起』)。

 本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師円仁が一刀三礼にて彫刻したもので、

完成直前に「比叡山の修行者の本尊となりたまえ」と言って白毫を入れようとすると、

阿弥陀像は首を三度横に振って拒否されたので、

「では京の都に下って、一切衆生をお救い下さい。中でも女人等を救いたまえ」と言うと、

阿弥陀像は三度頷かれたという伝説がある。

三井家の菩提寺で三井高利ら三井一族の墓石が並んでいる。

お十夜(浄土宗の重要な仏教行事)は、ここが発祥である。

近年は紅葉の名所として人気が高まっており、紅葉期は多くの人が訪れるが、普段は静かな寺院である。








それから、東北院を通って




竹中稲荷










で、吉田神社斎場所大元宮へ








この大元宮にお参りすれば、全国の神様にお参りしたことになるという

とっても便利な神社です。


天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)

吉田神道の教義により宇宙軸を現す大元宮は、始まりの神(虚無大元尊神)を中心に祀り、

そこから生まれ来る八百万の神々を祀る事で、

全国の神々を祀る社として、様々な御神徳を授けられる。





次には山蔭神社




なんでも料理の神様


吉田神社創建に貢献された藤原山蔭卿を祀る社

山蔭卿は日本で初めてあらゆる食物を調理調味づけたといわれ、

古来より包丁の神・料理飲食の祖神として、

多くの料理店や業界の方々の信仰を集めている。




最後に本宮





第一殿  健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)

第二殿  伊波比主命(いはいぬしのみこと)

第三殿  天之子八根命(あめのこやねのみこと)

第四殿  比売神(ひめがみ)


第一殿・第二殿の御祭神は諸々の災難より逃れ幸福を勝ち取る厄除・開運の神、

第三殿の御祭神は神祇の祖神であり思慮深き学問の神、

第四殿の御祭神は女神として女性に特別の徳を授ける神様です。

また第三殿・第四殿は夫婦神として、良縁や夫婦和合の御神徳を授けられる。


清和天皇の御代 貞観元年4月(西暦859年)に中納言藤原山蔭(ふじわらやまかげ)卿が

京の都の鎮守神として吉田山に勧請し創建されました。

この鎮座地である吉田山は、古来より「神楽岡」(神が集いし岡)と呼ばれ親しまれている聖地であり、

現在でもその秀麗な山容は東山三十六峰の12峰目に数えられてる。




というわけで、初詣は無事終わり、カフェでわいわい楽しんでいたら

フト気がつくと外は、真っ暗!

時間のたつのも忘れていた!!

楽しい一日でした!