植物園の今年最後の紅葉を撮ってみた。
人影も少なくなり、のんびりと散策が出来た。


町では、もうクリスマスセールが始まっている。


三脚にカメラをつけて、担いでいる人に出会った。
「いいのが撮れましたか?」と聞くと
「いやいや、これは散歩の方便です。」という。
本当は、しっかり撮影しているに違いないと思う。


芝生の広場では、小さな子供ずれの人たちが、子供達と戯れていた。
子供の遊び場所としても、植物園は最適なのかも知れない。
歓声を上げて、走り回っている子供が目にまぶしく感じる。


自分も、その昔、あんな年頃の時代があったのだろうと思うけど
思い出すのは、箱車に妹を乗せて、
庭を行き来している姿しか浮かんでこない。
父母は忙しいので、それが私の仕事のような気分だった。
近所の人に妹思いのいい子だと褒められ、妹もうれしそうだったが
なぜか、私は孤独感につきまとわれていた。


家の近くに小高いクヌギ林があり、そこが私の居場所だった。
とりわけ、冬枯れのクヌギ林が好きだった。
で、よく一人でその林の中で過ごした。
とりわけ、夜の林がお気に入りだった。
落ち葉にくるまって、寝転がっていると、木枯らしの中でも暖かい。
夜空に散らばった星を掃除するかのように、クヌギの枝が北風に揺れる。
風の叫びと落ち葉のざわめき以外の何も聞こえない。
このまま死ねたらと幾度思ったことだろう。


私の子供時代は、うれしい思い出は浮かんでこないが
今、振り返ると懐かしさがこみ上げてくる。


孤独感と死の願望に取り憑かれながらも、私は生きてきた。
歌の文句ではないが「思えば遠くにきたもんだ」と実感する。


紅葉を眺めながら、
私の紅葉は、何だろうと、ふと思う。

















































                  (フウの木の巨木)



                              (フウの木の紅葉)


帰りのバスの窓から、赤く染まり始めた西の空が、町には夕暮れを運んでいた。

灯の目立ち始めた町並みを眺めていると、なにやら別世界から現実に帰ってきたような気分になった。

外灯のついた我が家の前に立つと、日常が迎えてくれた。