最近は、吉田山散策をリハビリのつもりで歩き始めた。
吉田山とのつきあいは、私にとっては長いつきあいとなった。
今は昔、学生時代からのつきあいである。
当初大学の寮に入ることで部屋に入った。
2人部屋である。
が、後から来た相方を見るなり、とてもじゃないが彼とは
同居できないと思い、即、退寮願いを出して、叔母の家に転げ込んだ。
しかし、あまり長居も出来ないので、下宿を探した。
下宿は、吉田山の西の麓、吉田神社の鳥居がすぐ近くにあった。
玄関の横の庭を奥に入ると、別棟が有り、その一部屋が私の下宿である。
もう一部屋あるのだが、下宿人は、私一人であった。
吉田山の坂道を少し上がった所に、夜はお酒も出すアットホームなカフェがあった。
よく学友と通い、酒を飲んで、文学論、政治論で盛り上がったものだった。
いつの間にやら、学生運動のリーダーの一人になっていた。
閉店時間が来ると、みんなで吉田山を徘徊し、「紅もゆる岡の花」を
肩を組んで歌い、気勢をあげていた。
草原の寝転んで夜空を眺めると、立木の上に銀漢が輝いていた。
今思えば、あの頃の学友は、今どうしているのだろうと思う。
それから幾十年
今、私は、その吉田山を一人歩いているのだ。









吉田山児童公園の奥に石碑が建っている。
石碑には、『紅もゆる丘の花』と刻まれている。
この歌は、三高寮歌 『逍遙の歌』の出だしである。





この石碑の横には、歌詞が刻まれたプレートが設置されている。




 紅もゆる丘の花              くれなゐもゆる をかのはな  
 狭緑匂ふ岸の色              さみどりにほう きしのいろ
 都の春に嘯けば              みやこのはるに うそぶけば
月こそ懸れ吉田山             つきこそかゝれ よしだやま


 緑の夏の芝露に              みどりのなつの しばつゆに
 残れる星を仰ぐ時               のこれるほしを あほぐとき
 希望は高くあふれつゝ           きばうはたかく あふれつゝ
 われらが胸に湧きかへる         われらがむねに わきかへる 


 千載、秋の水、清く             せんざいあきの みずきよく
銀漢、空に冴る時               ぎんかんそらに さゆるとき
かよへる夢は崑崙の             かよえるゆめは コンロンの
高嶺の此方戈壁の原            たかねのこなた ゴビのはら 


ラインの城や、アルペンの          ラインのしろや アルペンの
谷間の氷雨、なだれ雪            たにまのひさめ なだれゆき
 夕はたどる北冥の              ゆふべはたどる ほくめいの
日の影、暗き冬の波              ひのかげくらき ふゆのなみ  


ああ、故郷よ、野よ、花よ           ああふるさとよ のよはなよ
此処にはもゆる六百の            ここにはもゆる ろっぴゃくの
光も、胸も、春の扉に             ひかりもむねも はるのとに
嘯く水や、故都の月              うそぶくみづや ことのつき  


それ、京洛の岸に散る             それけふらくの きしにちる
三歳の春の花嵐                 みとせのはるの はなあらし
それ、京洛の山に咲く              それけふらくの やまにさく
三歳の秋の初紅葉                みとせのあきの はつもみぢ  


 左手の書にうなづきて             ゆんでのふみに うなづきて
夕べの風に吟ずれば              ゆふべのかぜに ぎんずれば
砕けて飛べる白雲の               くだけてとべる しらくもの
空には高し、如意ケ嶽              そらにはたかし にょいがだけ   


 神楽ケ丘のはつしぐれ              かぐらがをかの はつしぐれ
老樹の梢傳ふ時                  ろうじゅのこずえ つたふとき
 穂燈かゝげ、吟む                 すゐとふかゝげ くちずさむ
先哲至理の教にも                  せんてつしりの をしへにも 


ああ、また遠き四千年               ああまたとおき しせんねん
 血潮の史や西の子の               ちしおのふみや にしのこの
榮枯の夢を思ふにも                えいこのあとを おもふにも
胸こそ躍れ、若き身に                むねこそをどれ わかきみに  

10
 希望は照れり。東海の              きばうはてれり とうかいの
 み富士の裾の山櫻                みふじのすその やまざくら
 歴史を誇る二千歳                 れきしをほこる にせんざい
 神武の子らの起てる今              じんむのこらの たてるいま 

11
 見よ洛陽の花がすみ               みよらくようの はながすみ
櫻のもとの健児らが                さくらのもとの をのこらが
今、逍遙に、月白く                 いませうえうに つきしろく
静かに照れり。吉田山               しづかにてれり よしだやま 

懐かしいので全歌を記してみたが、学生時代は10番は歌わなかった。







頂上の展望休憩所からは、目前に如意ケ嶽がみえる。
歌詞にある『空には高し、如意ケ嶽』である。
毎年8月16日の午後8時に五山の送り火で『大』の字が赤々と燃え立つのだ。

我が愛する吉田山である。