ウクライナでは、ダムが決壊し大惨事になっていると大騒ぎですね。

このことでウクライナとロシアが「おまえがやった」とののしりあいをしていますが

私からすれば、これが戦争というものだと思う。

戦争は、まがまがしいもので、「ぶちこわし」「ぶち殺す」のしあいだと思います。

戦争の是非の前に、ます停戦こそが大事ではないでしょうか。

なんと言っても、失われた命は、復活しません!

なんと言われようが、私は反戦平和を望みます。


先日、ブログで甲状腺に異常があり、細胞診をすることになったと書きました。

5月23日にその結果の報告を受けました。

甲状腺に約1cmの腫瘍があるが、良性の腫瘍でがんではなかったというので一安心しました。

ただ、3~4cmに大きくなるとガンに転化する可能性もあるので

しばらくの間、6ヶ月ごとに検査するということになりました。


甲状腺がんと前立腺がんは、進行がすごく遅いので、高齢者の場合

手術は、慎重にした方がいいらしい。

ガンよりも寿命の方が先に来ることがあるというのだ。

術後の副作用などに苦しまなくてすむ場合もあるという。

でも現実になった場合、やはり悩ましい問題になるとは、思います。


病気に対する考えも人いろいろで、ガンだと言われて

精神を病んでしまう人だっています。


私が10年ほど前、肺がんの宣告を受けたとき、

担当医はすぐ手術するように勧めましたが、1ヶ月ほど熟考しました。

結果手術を受けることにした。

そのときに、自分の死が現実になったような気がした。

すると、周りの自然や人々が、これまで感じたことがないような

強さで美しく、愛おしく感じました。


死とは、これらの世界から、永遠に自分が消えることなんだなと感じました。

私は、生死を考えるとき、ある本を繰り返し読んでいる。


本に曰く「それゆえ、死は生を求める者への問いかけであり、私どもは死の帰するところを

究めることなしに、生きることを願うことは出来ない。

実に死の帰するところが生の依るところなのである。」


この言葉の意味を繰り返し考えています。

生きることへの深い意味があるように感じてのことです。


京大病院で採血を待っていたら、血を検査場に運ぶロボットが忙しく

働いていました。

いろんなことをしゃべりながら、通行人に害にならないように動いていきます。

眺めていると、なんとも可愛くさえ思えてきます。




ロボットは病院内なんだけど、私は哲学の道も歩きます(笑)



正面の山は、大文字山


民家では、バラの花が咲いています。









イワガラミもいい花ですね。



桜の木には、サクランボが鈴なり、





夏らしくなった哲学の道











エノキの巨木



海外から多くの観光客がやってきて、賑やかになりました。

商店のみなさんは、喜んでいます。

でも、住民は、コロナ以前のように増えることを歓迎しません。

日常の生活に支障をきたすことが起きるからです。

たとえば、高齢者や幼児をつれた人など、バスが混みすぎて乗れないことが起きたり

カフェに寄りたくても、列が出来ていてすぐ入れなかったり、いろいろ発生します。

観光客も多ければ多いほどよいと手放しで、喜べません。


最後になんか変な話になってしまいましたが、ごめんなさいね。

では、またよろしく!