2016年6月1日(水)

人の記憶というものは、場所と時間と深く関係しているように思う。
場所では、そこにあるたたずまいや人、音や生き物などを含むその場の状況
時間は、季節や天気、昼なのか夜なのかを含んでいる。
そうゆう状況が再現されると、それに結びついた遠い記憶さえも蘇ってくるのだ。
人の記憶は、誠に場所と時間なしには、存在しないのではと思う。

私は、夕暮れ時の町にいた。
さわやかな風に吹かれて、灯りゆく町の灯を眺めていたら、
堀口大学の『夕ぐれの時はよい時』という詩を思い出した。
若いとき、この詩が好きで、暗唱したものだった。
 「夕ぐれの時はよい時 
 かぎりなくやさしいひと時」
というフレーズが頭を駆け巡る。
今眺めている町も、その詩の雰囲気である。

























大方の人も、そう感じるのではと思うが、
世の中には、別の人もいるのを聞いてびっくりしたことがある。
それは、中島みゆきのヒットソング『わかれうた』だ。
 「途に倒れて だれかの名を
 呼び続けたことが ありますか
 人ごとに言うほど、たそがれは
 優しい人好しじゃありません」
この歌の「人ごと」とは、堀口大学の詩だと思います。
彼女の大学の専攻は国文学でしたから、間違いないと思います。

話は、横道にそれるけど
私が中島みゆきを知ったのは、『化粧』という歌を聴いたのが最初だった。
すごい衝撃を受けたのだ。
 「流れるな 涙 心でとまれ
  流れるな 涙 バスが出るまで」
というフレーズが頭の中で鳴り止まなかった。

後で知った事だけど、脚本家の倉本聰氏もみゆきの大ファンで
「北の国から」でも彼女の歌を使っている。
彼に言わせれば「みゆきにはきっと、神さまがいるんだ。」
といわせるくらいなのだ。
だが、私は、彼女には神様なんぞはいないと思うのだ。
いるとすれば、表現の神様かな?

彼女にあるのは、とてつもなく深く大きな喪失感のように思う。
その頂点が『異国』だと思う。
あの呪文のように繰り返されるフレーズ
 「百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り支度をしつづける。」
そして『砂の船』
これは自殺の歌以外の何物でもないと思う。
どんな場所と時が彼女をそうさせたのかは、私は知らない。
が、彼女は、その危機をついに乗り越えた。

それが、私に大好きな歌でもある『狼になりたい』であると思う。
ここで彼女は、繰り返し叫ぶように歌う。
「狼になりたい 狼になりたい ただ一度」
それは生きようとする決意にさえ、私には聞こえる。

本題に戻るけど、
『夕ぐれの時はよい時』という詩と結びついた
いわば、悲しい思い出が二つある。

一つは、私が学生時代のことで
夏の夕暮れ、下宿の近くの大通りを歩いていた時のことだ。
人影もまばらな通りを、私の方に歩いてきた同じ年頃の女性がいた。
近づいてきた彼女が、突然大声で泣き出し、なにか叫びだした。
私はびっくりして立ち止まったが、彼女はそんな私が目に入らぬようで
泣き叫びながら、通り過ぎていった。
きっと失恋したんだろうと私は思った。
でもただそれだけの事である。
しかし、そのことは、私の心に焼き付き、何十年経った今でも
詩と共に思い出す。

二つ目は、社会人になって久しい時であるが
冬の冷たい雨の夕暮れ時、私は車で三条通九条山から市内に向かっていた。
夕暮れ時で仕事帰りの車で渋滞していた。
ふと、反対車線の向こうの歩道を九条山の方へただ一人
その雨にぬれて、傘も差さずに泣きながら歩いている女性がいた。
車で送ってあげようにも、そちらには行けないのだ。
山科まで帰るのであろうか?
この途は、しばらく家もない途なのである。
やむなく私は、天王町の交差点まできた。
が、このままではと思い直し、引き返した。
九条山をこえて日ノ岡まで走ったが、彼女の姿はなかった。
きっと誰かが来るまで拾ってあげたのだろうと思い、
家路に向かった。
このケースも私は特に何かをしたわけではないのであるが
強く心に残ってしまったのだ。

夕暮れの町とこの詩が思い浮かぶとき
なぜか、この二つのことが連動して私の記憶に蘇るのである。