哲学の道を毎日のように散歩していると

いろな人とお近づきになり、交流が始まる。

それは、ある意味、いろんな人生との出会いでもあります。

なかには、地域の隅々まで知り尽くしているような方にも出会います。

そこで、いろんな人の人生が聞ける。


さらに、出会いは人だけでなく、犬たちとの出会いも楽しい。

突然すれ違った小型犬に吠えられてびっくりしたり

大型犬がしっぽを振って愛想よくすり寄って来られたり

老齢でもう歩けなくなり、乳母車でお散歩という姿もある。




なかでも、私のお気に入りは、16歳の柴犬

歩き方からして、ヨボヨボな感じ。

それぞれの前足と後ろ足を同時に出して歩くのだ。

普通は4本足をばらばらに動かして、軽やかに歩くのですが・・・

だから、遠くからでもその柴犬はすぐわかるのです。

散歩が大嫌いな犬で、抵抗して歩こうとしないこともあります。




エアコンの下が大好きなのだが

能登地震があって以来は、テーブルの下で寝るようになったという。

賢い柴犬です。


私も以前、甲斐犬を飼った事があります。

ある雨上がりの朝、玄関の前に、震えながらヨロヨロと、どこからともなくやってきた。




飢えているようだったので、食物を与えたら、それっきり住み着いた。

ポロと名付けたその犬は、一時も離れたくないとばかり、私から離れようとしなかった。

広い庭を走り回り、芝生の上で、よくたわむれたものだった。

でも出会って27日目に交通事故に遭い、悲しい事になってしまった。

で、庭の隅の銀杏の木のそばに埋めて墓標を作った。




本当に印象深く、愛おしい犬でした。

私も大泣きしました。


ポロと戯れ、抱きしめた時のポロのぬくもりが手に残った。

それが今でも犬に触れると手によみがえり、ポロを思い出す。

この手の「ぬくもり」は、私にとってポロの形見です。

ポロと生きた証です。

以来、生き物は飼っていません。


死別の悲しさでポロの姿が脳裏に焼き付きました。

愛犬を飼っている人は、みんな同じような気持ちや経験があるのではないでしょうか。

生きるということは、素晴らしい事ですが、すごく悲しい事もあります。

それが私たちの心を豊かにしてくれるのではと思います。