2017年1月10日(火)

今日は、この月にしては、比較的暖かな日である。
天気に誘われて、哲学をしに哲学の道へ出かけた。



どういう訳か、道には人気が無い。
別にさみしいわけではなく、これぞ哲学するにふさわしい。



季節柄、色気がないのではと思っていたが、とんでもない。
たわわに実った南天の実が出迎えてくれた。



山茶花も誇らしく咲き誇っている。



雪が降っているかのような低木もあった。



さらには、ロウバイも花盛りである。



さすが正月で門松も見受けられた。
門松というとこんなのをイメージする人が多いと思うけど



本来は、こちらなのだ。



平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った
「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、
現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」といって飾られている。

松は、神が宿る縁起の良い木で、古来から愛用された。
思い出して欲しい。
能舞台の背には、必ず大きな松の絵が描かれているし
庭園では、必ずと言って良いほど松が植えられている。

門松の意味は、待つが転じて松となった。
「門で新年の福を待つ」の意味であるというのは、
私の勝手な意味付けですが、
まあ、そういう気持ちで新年を祝いましょう。(笑)

ところで、哲学の道には、お地蔵さんがいらっしゃるのだが
その横に鍵の掛かった賽銭箱がある。
なんと念入りにも、賽銭箱に雨が入らないようにふたがしてある。
そもそも賽銭箱に鍵がかけてあるのには、
私は納得できないのである。



こちらのお地蔵さんには、賽銭箱はない。
木彫りの可愛い作品である。



もともとは、社寺やお地蔵さんの前に賽銭箱など無かった。
お供えは、五穀だったのだ。
しかも、お供えした物は、寺社などの所有物ではなく、
神や仏様のものであり、そのお下がりを飢えた人がいただいていた。

五穀とは古事記では、稲・麦・粟・大豆・小豆、
日本書紀では、稲・麦・粟・稗・豆となっている。
それがやがて米となり、ご飯となり、貨幣が普及すると
お金になった。

でも、お供えした物を誰がどのようにしようが良かったのだ。
飢えた方々がそれをいただくことで、意味が満たされたのである。
それは、今流にいえば、慈善事業、福祉事業ににたとえられる。

他の例でいえば、水上勉の「はなれ瞽女おりん」ではないが
瞽女だって立派な福祉事業だった。
盲目の少女を預かり、芸を教え、農閑期に村々を回り
門付けをして、彼女らの生計をまかなっていたのである。
そのようなことでもなければ、盲目の少女は生きていくことさえ困難だった。

昔、お地蔵さんに供えられたおにぎりを涙と共にいただいた人がいたはず。
現代の「こども食堂」の役割を果たしていたと思う。
いにしえの庶民は、「お供え」という形式で助け合っていたのだと思う。
日本人の美しい心意気である。
美しい日本というなら、こうありたいものである。

幸い、わが生家の寺院では、賽銭箱に鍵はない。
いまでも、それをたよりに来る人がいる。
日々のお金に困っているという人がいるのだ。
でも、彼らは、全部持って行かないのだ。
なにがしかのお金を残してある。
いただく方にも、美しい心が生きているのだ。

日本国憲法には次のような条項がある。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
 向上及び増進に努めなければならない。

賽銭ではなく、国の制度として、貧しき人を救うことは、
国民全体の心を豊かにしてくれるのではないだろうかと思う。