訪問ありがとうございます!感謝!
夕暮れ・年の暮れ [風景]
今日は12月30日
2019年もまもなく終わる!
私にとって、どんな年だったのかはなんとも言えない。
息を切らして、通り抜けたような気がする。
社会的には、今年は、政治をはじめ、
あらゆる面で、モラルハザードが進んだ年ではと思う。
日本が壊れ掛かっているような危機感を感じるのは
私だけだろうか?
もやもやした気分が続く中で
夕焼け空を見つめていると、心が洗われる。
仏教の極楽浄土に心が飛んでいくような気がする。
日常を忘れ、生きてることの喜びさえ感じる。
私は、夕焼け空が好きだ。
若いときから、私は朝焼け空が苦手だった。
朝焼け空を眺めると一日中疲労感で満たされた。
私に元気を与えてくれるのは、夕焼け空だ!
町の夕焼け時は、おだやかな気分になる。
日本海の夕焼け空は壮大なドラマがある。
でも、私は山里の夕焼け空が一番好きです。
山村に生まれ育ったからかも知れない。
この赤がだんだん黒くなって、山里は、真っ暗な闇に包まれる。
雲が引いた夜空には、満天の星
あるいは、満月が静かな山野を照らし、幽玄な世界に変える。
そして、今年も暮れていく!
素敵な湯呑みをいただいた! [ぶらり生活]
12月に入り、久し振りに鯖街道をドライブした。
沿道では、はや、積雪対策の除雪車が配置されていた。
もうすぐ、雪が降り、本格的に冬の季節の到来です。
私も過去10年間この地域でカフェをしてたのでよく知っている。
12月には、必ず雪が降り、積雪があるのです。
鯖街道沿いに流れる安曇川は、朽木に入ると川幅も大きくなる。
夕日に照らされた川面の風景が大好きなのですが、今日は日が差してない。
今日は、友人の別荘にも、ちょっと用があったので立ち寄った。
べっそうに着いてみると、なんと予想だにしなかったオーナーの友人の車が!
本当に久し振りの再会に話が弾んだ!!!
10月に訪問したときに、素敵な湯呑みがあるので、訪問記に書いていたのですが
友人は、いとも気さくに譲ってくれた。
それも2つ!!!
作者は、森 陶岳さんという。
初めて教えて貰った。
森 陶岳(もり とうがく、1937年3月23日 - )は、岡山県出身の陶芸家。
備前焼窯元六姓の流れをくむ。岡山県指定重要無形文化財保持者。
彼の作品は、伊勢神宮、厳島神社、出雲大社、東大寺、メトロポリタン美術館、
ボストン美術館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館などに収蔵されている。
有名な陶芸家の作品なのだ。
すごくうれしいんだけど
気安く貰って良いんだろうかと少し不安になった。
が、結局素直にいただいて帰ることにした。
帰り道
里の駅大原でお茶した。
野外の椅子に座って、大原の里を眺めている二人の女性の姿が
なぜか印象的だった。
京都市内に入った頃、もう夕日が沈みかけていた。
白川通りの銀杏が夕日に照らされて、輝いていた。
で、フロントガラス越しに撮影した!
今日も良い日になった!
日本三大奇勝の一つ”耶馬溪” [風景]
帰省した機会に耶馬溪に行ってきた。
耶馬渓(やばけい)は、
大分県中津市にある山国川の上・中流域及びその支流域を中心とした渓谷。
日本三大奇勝として知られ、日本新三景に選定され、名勝に指定されている。
日本三大奇勝とは、
耶馬渓 (大分県中津市)
寒霞渓 (小豆島、香川県小豆郡小豆島町)
妙義山 (群馬県甘楽郡下仁田町/富岡市妙義町・安中市松井田町)です。
また、耶馬溪は、耶馬十渓といわれる地域に別れていて
一般に耶馬溪と言えば、本耶馬渓を指す。
本耶馬渓は、青の洞門や競秀峰を中心とする山国川上流一帯。
青の洞門は羅漢寺の禅海和尚が、参拝客が難所を渡る際に命を落とさないよう
ノミ一本で掘り抜いたトンネルで、菊池寛が『恩讐の彼方に』を上梓したことで、
全国にその名を知られることになった。
なお、禅海和尚は隧道を開通させた後は利用者から通行料を徴収したことから
国内初の有料道路とも言われている。
他に深耶馬渓、裏耶馬渓、奥耶馬渓など。
でも私は、今回行ったのは、裏耶馬溪!
まずは鶴ケ原池(玖珠町)
国道から狭い山道を1km程山の中に行くと突然池が現れる。
天気は、悪く雨が降る中での観光となった。
道中、あちこちに小さな石仏が迎えてくれた。
これは人面の大岩?
次は「立羽田の景」
雨が激しくなり、もう夕闇がやってきたような暗さになった。
撮影にとっては、最悪!!!!
裏耶馬溪に向かう。
今日のお宿は、七福温泉宇戸の庄
宿に着く頃には雨も上がり、やれやれです。
私達の部屋は、離れの一軒屋、大きなリビングと畳の間があり、
なんと言っても部屋付きの温泉浴槽には、掛け流しの湯が引かれていた。
紅葉に囲まれた渓谷にあり、温泉と紅葉を楽しめた!
真ん中の奇岩をみて、妻が「リュウマチの指」だという。
麓の建物は、「ぼけなし地蔵尊」
妻に拝ませるのを忘れてしまった(笑)
お宿の庭に木彫りのフクロウが笑顔旅立つ私達を見送ってくれた。
一目八景は、多くの人がいたので、素通りして、裏耶馬溪の紅葉を楽しみながらお別れした。
天気に恵まれなかったのが、残念です。
晩秋の岡城跡 [故郷]
故郷の山河の続編になりますが、晩秋の岡城跡を訪れました。
岡城跡は大分県竹田市にある城跡ですが、
この城跡の麓に高校時代の母校があります。
高校時代よく岡城跡で友人と遊びました。
ここは、私の青春が息づいている場所なんです。
「荒城の月」の作曲者である瀧廉太郎もこの町にすんだことが有り、
この岡城跡を彼も訪れていて、この城跡をイメージして
土井晩翠の詩「荒城の月」に曲をつけた。
二の丸跡に彼の銅像が建っています。
荒城の月
土井晩翠作詞
瀧廉太郎作曲
1.春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ
2.秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照りそいし
昔の光 今いずこ
3.今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣(かき)に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐
4.天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映(うつ)さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月
岡城跡は、海抜325mの台地、その広さは実面積で100万㎡で
東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたる。
大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の舌状台地上に築かれ、
川岸からそそり立つその姿はかつて
「難攻不落」と言われた天然の要塞であったことを感じさせられる。
岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄(これよし)が
源頼朝と仲違いをしていた弟 義経を迎えるため築城したと伝えられる。
遠く九重連山が見える。
二ノ丸跡
本丸跡
西の丸跡
大手門から夕日を浴びた眼下の大野川(白滝川)を望む。
大手門坂の紅葉
古城に夕暮れが訪れた!
遠くの山は祖母山
駐車場のある通路にも夕闇が迫ってきた。
おまけに霧まで掛かってきた。
家路につく時間となりました!!
故郷の山河 [風景]
晩秋の故郷を訪れた。
私の故郷は、九州の阿蘇山と久住山の東側にある山深い山里です。
生まれた頃、農家はどこでも牛を飼っていて、専業農家ばかりでした。
電気は各家庭に来ていましたが、まだ、テレビも電話も無かった。
勿論、車などは夢の夢でした。
そんな時代に、山里で育った私の故郷の風景は、やはり山野の風景です。
故郷の風景は、人により様々だと思います。
私の子供達は、都会で育ちました。
で、子供達の故郷の風景は、私とは全く違っていると思う。
彼らの心にある故郷の風景はどのようなものだのだろうか?
一度語り合ってみたいと思う。
が、
ここでは、私の故郷の風景をアップしてみました。
志高湖
雲が掛かった山は、由布岳
九重高原
稲刈りのすんだ田んぼ
歓迎の案山子
神社の境内
古い石橋
暮れなずむ川の流れ
朽ちていく空家
私は人気の無い野辺の風景が大好きです。
それが私の育った地域の雰囲気を持っているからです。
でも、もう今は、私のような風景に郷愁を感じる人も減ってしまったのではと思う。
”時”が懐かしい風景も親しい人々をいずこへかさらっていき
風景も人も入れ替わっていく。
なんとなく、寂しさが懐かしさと共にこみ上げてくる。
故郷とは、浮かれた場所で有り、消えていく場所でもあるのだと思えてきた。
雨の晩秋-滋賀湖西地方にて- [風景]
所用があって、鯖街道をドライブした。
花折り峠のトンネルと出ると雪国ならぬ雨の国!
晩秋の山々が雨に煙っていた!
花折り峠のトンネルと出ると雪国ならぬ雨の国!
晩秋の山々が雨に煙っていた!
フト西行の歌が心に蘇るような風景だった。
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ
新古今和歌集より
京都市内は日が差していたのにと少し悔やまれた。
雨に濡れながらの撮影となった。
雨に濡れながらの撮影となった。
山の紅葉を眺めていると、故郷が恋しく思い出された。
山と棚田だけの故郷だけど、それが無性に恋しくなる。
立原道造の詩を読むと私の故郷と同じように思える。
山と棚田だけの故郷だけど、それが無性に恋しくなる。
立原道造の詩を読むと私の故郷と同じように思える。
のちのおもひに
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
詩集「萱草に寄す」より
静かな晩秋の紅葉を眺めながら、故郷に帰ろうと思った!
故郷が私を呼んでるような気がしてきた。
故郷が私を呼んでるような気がしてきた。