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故郷の山河-7 [故郷]

愛の園生(あいのそのう)

朝倉文夫記念公園


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朝倉文夫記念公園は、田園風景の続く山奥にある。

こんな山奥に本当にそのようなものがあるのだろうかと疑いたくなるのであるが

この標識に出合、一安心。


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公園は、よく整備されていて、あちこちに芸術家達の作品が設置されている。

でも、これらは、朝倉文夫の作品ではありません。


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朝倉文夫の作品は、こちら記念館野中にあります。

山の斜面沿って伸びた建物は、三層構造になっている。




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朝倉 文夫 Asakura Fumio (1883~1964)

明治16年3月1日、上井田村(現朝地町)池在に渡辺要蔵の三男として生まれました。

9歳のとき養子として朝倉宗家を継ぎ、尋常小学校を卒業。19歳のとき旧制竹田中学校を中退して上京しました。

明治36年、東京美術学校彫刻選科に入学。在学中に1200点もの作品を制作し、明治40年、首席で卒業。

その後は彫刻界の重鎮として活躍。

大正8年に帝展審査員となったのを皮切りに、同10年に東京美術学校教授、同13年に帝国美術院会員となり、

昭和23年には文化勲章を授与されています。

その間、「墓守」など数多くの傑作を生み、驚異的な質と量の作品を残し

「自然主義的写実主義」といわれる作風を確立しました。

朝倉文夫は晩年、自身の作風を確立するうえで大きな影響を受けたふるさとの美しい自然の中に作品を展示保存

することに情熱を注ぎ、昭和36(1961)年、生家周辺に梅園と記念館を配した理想的な芸術鑑賞空間の建設を

計画します。

そして、その芸術鑑賞空間の名前を「愛の園生」(あいのそのう)と名づけ、自費を投じて用地の購入、

造成など事業に取りかかりましたが、昭和39(1964)年にこころざし半ばにして亡くなりました。

建設計画は中断し、購入済みの用地は当時の朝地町に寄贈されました。
  昭和48(1973)年、朝地町は朝倉の遺志を受け継ぐとともに、

その業績を顕彰するため記念館の建設を計画しました。ところが、

折からのオイルショックの経済不況により計画は中断を余儀なくされました。

しかし、町は将来計画が再開することを前提に、梅園の造成や朝倉作品の収集を行います。
 昭和61(1986)年にそれまで中断していた記念館の建設計画を再開。

設計は朝倉の教え子であった清家 清氏、造園設計は彫刻家の澄川喜一氏、展示設計は娘の朝倉 摂氏が

それぞれ担当。

こうして「愛の園生 朝倉文夫記念公園」は平成3(1991)年3月28日に開園しました。
  朝倉の夢は、計画以来30年を経て、ゆかりの方々や多くの人々の協力を得てやっと実現したのです。


朝倉文夫記念館
所在地: 〒879-6224 大分県豊後大野市朝地町池田1587-11
電話: 0974-72-1300



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帰り道の田園風景、ここでも棚田が広がっていた。





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夕焼け [風景]

久し振りに夕焼け空が広がった。

台風20号の前触れの雲が焼けているのだろうか?

時折強い風も吹いてくる。

空だけでなく、辺り一面が赤く輝いている。

最近なかった夕暮れ時の風景である。


吉田山の夕焼け

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大文字山の上にも

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夕焼け空を眺めていると、なぜだか郷愁にのような気分に包まれる。

「山の彼方の 空遠く」ではないが、心が空に解き放たれるような気がするのだ。



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