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国宝の曜変天目を見てきた! [ぶらり生活]

5月は、珍しいことに国宝の曜変天目3点が同時展示されているというので

近くの2点を見ようと思い出かけた。

まずは、滋賀県信楽にあるMIHOミュジアム。

中央線もない狭い山道を新緑を味わいながら走ると

山奥の人家も見当たらないところに、突然のように

MIHOミュジアムがある。

レセプション棟でチケットを買って、歩きか、電気自動車で

トンネルと抜けて、美術館棟に向かう。


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美術館棟入り口


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ここでは、京都大徳寺龍光院所蔵の曜変天目が展示されている。

とにかく、この曜変天目がお目当ての訪問者が圧倒的!

当然、並んで順番待ち。

初めて見る曜変天目である。


日を改めて、今度は、奈良国立博物館へ出かけた。

博物館へいたる道には、鹿の群れがあちこちにいて、

鹿せんべいをねだっている。

多くの観光客がひっきりなしだ。

私は大変疲れて、博物館に到着したときは、もうヘロヘロ!

真っ先にレストランで一休みしてから、観賞することにした。


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ここに展示されているのは、藤田美術館所蔵の曜変天目である。


ここでも、列をなして順番待ち、

仕方ないよね。

列が長いので、「ここが最後尾」って書いた旗を掲げている館員がいた。


曜変天目を眺めて、本当に感動した!


で、ここで少し曜変天目についての解説を、他人の情報を元に(笑)


曜変天目の概要

漆黒の器で内側には星のようにもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は暈状の青や青紫で、

角度によって玉虫色に光彩が輝き移動する。

「器の中に宇宙が見える」とも評される。

曜変天目茶碗は、現在の中国福建省南平市建陽区にあった建窯で作られたとされる。

現存するものは世界でわずか3点(または4点、後述)しかなく、そのすべてが日本にあり、

3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。

いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳である。

日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられている。


南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、

なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか(器が割れ欠けている完全でない状態のものは

発見されている)、大きな謎として残っている。

中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄されたために現存せず、

わずかに破壊の手を逃れたものが密かに日本に伝来した、とする説も唱えられたが、

後述の中国での陶片の出土状況から南宋時代の最上層の人々に

曜変天目が使われていたことが示唆されている。


曜変と呼ばれる条件

「曜変」とは「天目」という言葉と同じく日本で作られた言葉で、中国の文献には出てこない。

南宋時代の作品だが、日本で曜変という言葉が使われた最も古い文献は室町時代の「能阿相伝集」である。

曜変とは、建盞の見込み、すなわち内側の黒い釉薬の上に大小の星と呼ばれる斑点(結晶体)が

群れをなして浮かび、その周囲に暈天のように、

瑠璃色あるいは虹色の光彩が取り巻いているものを言う。

この茶碗の内側に光を当てるとその角度によって変化自在、七色の虹の輝きとなって跳ね返ってくる。

これが曜変天目茶碗にそなわっていなければならない不可欠の条件である。

本来、「曜変」は「窯変(容変)」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指すが、

その星のような紋様・美しさから、「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになった。

このような紋様が現れる理由は、未だに完全には解明されていない。

また、この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは議論がわかれている。


現存する曜変天目茶碗

国宝

曜変天目の条件を厳密に満たすもので完存するのは、国宝となっている3椀のみとされる。


静嘉堂文庫蔵
稲葉天目の通称で知られ、現存する曜変天目茶碗の中でも最高の物とされる。

1951年6月9日、国宝指定。

元は徳川将軍家の所蔵で、徳川家光が病に伏せる春日局に下賜したことから、

その子孫である淀藩主稲葉家に伝わった。そのため、「稲葉天目」と呼ばれるようになった。

その後、1934年に三菱財閥総帥の岩崎小弥太が購入し入手したが、

岩崎は「天下の名器を私如きが使うべきでない」として、生涯使うことはなかったという。


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藤田美術館蔵
水戸徳川家に伝えられたもので、曜変の斑紋が外側にも現れている。

1918年に藤田財閥の藤田平太郎が入手し、現在は藤田美術館所蔵。

1953年11月14日、国宝指定。


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大徳寺・龍光院蔵
筑前黒田家の菩提寺、大徳寺の塔頭龍光院に初世住侍江月宗玩以来伝わったもの。

1951年6月9日、国宝指定。

宗玩の父であった堺の豪商津田宗及が所持していたとされるが詳細は不明。

建立開基した黒田長政が筑前博多の豪商、島井宗室(博多三傑)の縁でこの院に帰した説もある。

国宝とされる三椀の曜変天目茶碗のうち、最も地味なものであるが、幽玄の趣を持つとされて評価が高い。

通常非公開であり、鑑賞できる機会は稀である。


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重要文化財

MIHO MUSEUM蔵

加賀藩主前田家に伝えられたもの。1953年11月14日、重要文化財指定。

かつて大佛次郎(本名・野尻清彦)が所蔵していたもので、現在はMIHO MUSEUM所蔵。

国宝3点とは異なり、曜変は内面の一部に限られ、この天目茶碗を「曜変」と呼ぶかどうかは議論がある。


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失われた曜変天目茶碗
現在、世界で3点(または4点)しか現存しない曜変天目茶碗だが、記録によればもう1碗あったと考えられる。

足利義政から織田信長へと、時の最高権力者に所有された天下第一の名碗であったが、

信長がこれを愛用し、持ち歩いたため本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまった。


貴重なものが失われ非常に残念な事ですね。

きれいな曜変天目にうっとりとしながら、京都に帰ってきたら、もう夕方でした。


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京都タワーをしばし見上げて、帰宅しました。

ほっこりです。


おまけ

まだまだ見れる曜変天目


奈良国立博物館  4月13日~6月9日
「国宝の殿堂 藤田美術館展 ―曜変天目茶碗と仏教美術のきらめき―」


静嘉堂文庫美術館  4月13日~6月2日
「日本刀の華 備前刀」


MIHOミュジアムは、5月19日で終了です。




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コメント 2

斗夢

今はこういう焼き物は焼けないんでしょうか、
いろいろ進歩していると思うんですが。
絵もそうですね、いま描かれたものは何百年か経たないと
価値が出てこないんでしょうか。
by 斗夢 (2019-05-23 15:14) 

風の友

斗夢さんへ
曜変天目に近い天目茶碗は、中国でも、日本でも焼かれています。
絵の方は、一般的には作者が亡くならないと価値が上がらないそうです。
by 風の友 (2019-05-29 00:52) 

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