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「絵になる姿」をみにでかけた。 [ぶらり生活]
堂本印象美術館で行われていた「絵になる姿」展に出かけた。
堂本印象美術館を訪れるのは、初めてである。
何十年も前から、気になっていたのだけど、なぜか機会が無かった。
美術館は、衣笠山の山手の方に有り、立命館大学と向かい合っている。
私が堂本印象を初めて知ったのは、あるホールの緞帳である。
魅力的な緞帳のデザインが、堂本印象の作品であるり、
私の堂本印象とに出合であった。
そんなことも有り、ひょんな事から出かけることになったのである。
ここで、堂本印象について、当館webpageから少々引用してみた。
堂本印象(どうもと いんしょう)
明治24年~昭和50年(1891-1975) 明治24年京都生れ。本名三之助。
明治43年京都市立美術工芸学校を卒業後、しばらく西陣織の図案描きに従事し、
大正7年、日本画家を志し て京都市立絵画専門学校に入学。
翌8年、初出品した「深草」が第1回帝展に入選した。
第3回展では「調鞠図」で特選、また、第6回展の「華厳」では帝国美術院賞を受賞するなど一躍画壇の花形となった。
絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者としても多くの後進を育成、昭和19年、帝室技芸員となった。
戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与えた。昭和25年、芸術院会員。
戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与えた。昭和25年、芸術院会員。
さらに昭和30年以降は抽象表現の世界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせた。
多くの国際展にも招かれ、昭和36年には文化勲章を受章した。
昭和41年、自作を展示する堂本美術館を自らのデザインにより設立。
昭和41年、自作を展示する堂本美術館を自らのデザインにより設立。
また、様々な技法を駆使しあらゆる画題をこなす画才は、各地の寺社仏閣の障壁画においても発揮され、
多くの作品を残した。昭和50年9月逝去、83歳。
なお、美術館は平成3年8月にその所蔵作品とともに京都府に寄贈され、
平成4年4月京都府立堂本印象美術館として開館し今日に至っている。
美術館の建物は、初めから府立だった、こんな斬新なものでは無かったのではと思う。
玄関を入ると
で、絵になる女性達の姿をしっかり観賞させて貰いました!
同時に印象の作品展も行われていて、メインに
木華開耶媛(このはなさくやひめ)/1929年/昭和4年が飾られていた。
(この写真は、当館ホームページからの借用です)
長年積み残してきたものを解決したような気分になって、美術館を後にしました。
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