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胸にこみ上げるもの [心の風景]

今日は、梅雨の雨が朝から降りしきり、どんよりと暗い日である。
こんな日は、音楽でもと思い、いろんな曲を聴いてみた。

その中で、懐かしい童謡「月の沙漠」あったが
その曲を聴いていたら、
胸の奥から熱いものがこみ上げてきてきました。
 自分でも予期しなかったことなので、驚いてしまった。

「月の沙漠」は、多くの人が知っている「童謡」であり、
 子供の頃、幾度も聴いてきた曲である。
ところが、こんな激情を感じたのは、はじめであった。
この曲の秘密はなにか?
少し探求してみたくなった。

この歌は 「BS 20世紀日本のうた」ベスト100曲に
1775万票(1人3曲選択)もの空前の投票を集めてランクインしているという。
これは、いかに多くの日本人がこの歌に親しんでいるかということを、
物語っていると思います。

「月の沙漠」作詩は加藤まさを氏で
 1897年(明治30年)静岡県藤枝市生まれの抒情画家。
1923年3月(大正12年)に、(作者26歳)
 当時創刊したばかりであった「少女倶楽部」で、
 歌詞が紹介されたのが最初でした。
この発表の時の挿絵も本人が描いています。

まず「月の沙漠」の歌詞を一度よくみてみましょう。
(曲は最下部にyoutubeで聴けます)


tukinosabaku1.jpg

   月の沙漠

                作詞 加藤まさを
                作曲 佐々木すぐる

   月の沙漠を はるばると
  旅の駱駝が 行きました
  金と銀との 鞍置いて
  二つならんで 行きました

   金の鞍には 銀の甕
  銀の鞍には 金の甕
  二つの甕は それぞれに
  紐で結んで ありました

   先の鞍には 王子さま
   後の鞍には お姫さま
  乗った二人は おそろいの
    白い上着を 着てました

   広い沙漠を ひとすじに
    二人はどこへ 行くのでしょう
  朧にけぶる 月の夜を
    対の駱駝は とぼとぼと
  砂丘を 越えて 行きました
  黙って 越えて 行きました


「月の沙漠」の誕生は

 本多勝一氏の『アラビア遊牧民』(角川文庫)の
 「『月の砂漠』の夢と現実」という項で、
 作詞者・加藤まさを氏のインタビューが紹介されています。
それによると、
 加藤氏は大正12年『少女倶楽部』の依頼に応じて、作詞されたとのこと。
 加藤氏はアラビアに行ったことはなく、全くの空想で詩を書かれたそうです。
そして、病気療養を期に夏よく当地を訪れ、『御宿の砂丘で得た幻想』から
生まれた詩であると本人は語っている。
 (詩を書いた時、思い浮かべたのが、立教大学在学中、毎年、
 夏になると過ごした千葉県の御宿海岸の砂丘だったという。)

 「なぜラクダがいるのですか?」の問いに
『馬では西部劇に、牛だと牧場になってしまいます』
 「どうして一瘤ラクダなんですか?」
 『一瘤でないと東洋の感じが出てしまってダメなんで す』
 「王子さまとお姫様はどこに行ったのですか?」
 『僕も知らないんです…一緒に考えてください。』
と作者は答えている。

 朝日新聞社の本多勝一氏によると、アラビアの砂漠では、
 『月が朧にけぶる夜は』すさまじい砂嵐の時しかなく、
 『金や銀の甕など』は飛んでもない話で、
 中の水は煮立ってしまい使い物にならず、皮袋に入れる。
 当然金や銀の鞍では王子とお姫様のお尻は火傷してしまう。

…故に、これは日本人のロマンだと!


「月の沙漠」に秘められたもの

(イ)まず、作者加藤まさを氏について
彼は、当時、不治の病とされていた肺結核を若くして患っていた。(後に完治)
彼には恋人がいて、すでに子供までいたが、親の反対で結婚できなかった。
その影響もあってか、彼の作品には、愛と死がテーマと思われるものが多い。
 「月の沙漠」も例外ではないと思われる。
 彼の主な作品
 『カナリヤの墓』1920/岩瀬書店(最初の童謡画集)
 『涙壺(小曲集)』1922/内田老鶴圃/
『人形の墓(童謡集)』1923/内田老鶴圃
 『まさを抒情詩集』1926/春陽堂
 『愛の哀しみ』1927/

(ロ)「月の沙漠」の歌詞について
<注目1>
"金銀の鞍、金銀のかめ、おそろいの白い上着"
この歌詞が、日本人的発想で書かれていることからして、
 汚れなき死装束(しにしょうぞく)での旅立ちであると
私は理解します。

 <注目2>
"王子様、お姫様"
これは、童謡ということで、愛し合う若いカップルの
象徴的表現として使わ れたと解釈する。
そして、金銀の鞍やかめと合わせて、崇高な印象を表し
 ていると思う。

 <注目3>
"金のくらには 銀のかめ
銀のくらには 金のかめ
二つのかめには それぞれに
 ひもで結んで ありました"
沙漠を超える為の最も必要なものは水。
その水は、現実には皮袋なのであるが、日本人の発想と
 して「かめ」になっている。
すなわち金と銀のかめは「水かめ」である。
 「水」は沙漠の中では、まさに「命」
だから、ここでは、かめは、まさに「命のかめ」である。
そのかめを、お互いに相手の鞍に付けて、
かつ、ひもで結んであるということは、何を表しているか?
これは自分の命を相手に預け、かつ、自分と相手は一心同
 体であるという深く強い愛の証であると考えます。

 <注目4>
"おぼろにけぶる 月の夜を
対のラクダは とぼとぼと
砂丘を越えて ゆきました"
「おぼろにけぶる 月の夜を」は、
 前述の本多勝一氏の言葉で、明確ですが、
 現実にはありえない日本人の勝手な発想であるが、
ここで注目したいのは、
 太陽の照りつける沙漠でもなければ
明るい満月の光りが降り注ぐ沙漠でもないことである。
 小さな砂嵐が吹いているような、薄暗い夜の沙漠を二頭
のラクダが超えていくのである。
しかも、そのあしどりたるや「とぼとぼと」である。
 「とぼとぼと」歩くのは、どのようなときでしょうか?
それは、
(1)疲れきっている。 
(2)明確に、何時までに、何処に行かなければならないとい
 う目標がない場合だと思います。
 「月の沙漠」では、後者だと思います。
なぜなら、
この句の直前で作者は
「ふたりはどこへ ゆくのでしょう」と
問うていることからしても、
後者の方が正しいと思われる。

 <注目5>
 最後の一行" だまって越えてゆきました"
 愛し合う二人が黙って一緒にいるときとは、どういう時でしょうか?
それは、二人の間に諍いがあり、口も利きたくないと感じている時か、
 口にしなくても十分自分の気持と相手の気持が一致して
 いるときではないでしょうか?
だとすれば、この場合彼らは、後者。
すなわち、
 口にしなくても十分心はひとつになっているからではないでしょうか。
 諍いがあって黙ったいるのなら、条件の厳しい沙漠の、
 しかも夜の旅など一緒にしないと思います。


「広い沙漠をひとすじに、
ふたりはどこへゆくのでしょう?」

この歌詞の中で、ただ一行作者の言葉です。
 「月の沙漠」の作者が、ただ一行だけ問いを入れることは、
すでに言外で、
その行き先を知っているのです。

二人は、王子様、お姫様でありながら、
お供の一人もいないし、
 沙漠を越えるに必要なものを運ぶための
 ラクダさえ同行していない。
いわば、片道切符のお忍びの旅です。

彼らのいる場所が「砂漠」ではなく「沙漠」なので
砂丘を越えた先に海を想定しているのかもしれません。
それならば、二人は、ラクダを下りて、手を携えて
海の中に消えていくことになるのでしょう。
でも、それを言葉にはしません。
それでこそ、詩は、輝くのです。

 以上のことから導き出されるのは
「月の沙漠」の王子とお姫様の行く先は
 まさに「旅路の果ての死」だと思います。

 この歌の「行きました」と繰り返される言葉は
 「逝きました」を伏線で持っているようにさえ思えます。
  彼らは、死の旅路をしているのです。

 二人は固い死の決意を共有しているのです。
 二人は、永遠の愛と死の決意で硬く結ばれた旅路をしている
 と言えるのではないでしょうか?

しかし、 二人は嘆き悲しんでもいません。
 涙してもいません。
 深く愛し合い、死を共にすることを決然と受け入れ、
 自らの意思として進んでいるからでしょう。

なぜ、彼らは、そうしまければならないのかは
 ここでは、触れられていません。
しかし
 これは、「心中」以外の何ものでもないと思います。
 しかし、それだけでは、とても童謡にはなりません。
 すなわち、この歌の真の魅力は、そこにはないからだと思います。
 
死を決意した二人は今
 最高の「生」の中にいると思うのです。
まさに『死の帰するところが生の依るところ』なのだと思う。

そう考えると、
 汚れなき二人の若者の愛と死に、
 純で凛として、
立ち向かっている姿が浮かんではきませんか?

だからこそ、「月の沙漠」を聴くものにとって、
 心を揺さぶられるのではないでしょうか。

 それは、彼らと心を共にすることによって与えられた至福の
感情ではないかと思います。
この作品は、童謡の域を越えて、多くの日本人の心を揺さぶる
優れた作品だと思いました。

youtube「月の沙漠
https://www.youtube.com/embed/OoCfmEjBO30


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斗夢

御宿に親戚がいるので以前訪れ、朝散歩でらくだを見ました。
歌を聞くと胸に迫ってくることがあります、歳かなあと思っています。
by 斗夢 (2016-06-24 05:20) 

ayaya

kusuyoさんの抒情歌のCDにも入っていますが、聞いて泣く人多数です。きっと、そういう歌だとは知らなくても、歌っている人は知っていて歌っているので、伝わってくるのでしょうね。

by ayaya (2016-06-24 13:53) 

風の友

斗夢さんへ
年のせいだけとは限りませんよ。
若い人でも感動している人がいます。

by 風の友 (2016-06-24 22:16) 

風の友

ayayaさんへ
kusuyoさんの歌は、人の心をとらえますのもね。
私は彼女の「鶴」が大好きです。
あれもいい歌ですね。
10月のコンサートが楽しみです。
by 風の友 (2016-06-24 22:18) 

名犬ゴン太の兄

なるほど・・・
確かに、そのように読み解けますね。
なんとなく寂しい雰囲気を感じる歌でしたが、そういうことだったのですね。
by 名犬ゴン太の兄 (2016-06-26 10:04) 

風の友

名犬ゴン太の兄さんへ
ご理解いただきありがとう!
by 風の友 (2016-06-29 17:09) 

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